小料理・剣持亭〜夜半の月〜
第六話
渡橋ないあ
- 森の中は思ったよりも明るかった。木葉の間から漏れる月の光が、目の前の樹木をかろうじて確認させてくれる。
- 俺は店主と青年の間になる形で森を進んでいた。時折聞こえる鳥の鳴き声と思っていたものは段々と鋭く大きな音になってきている。
- 「ひっ!」
- 俺は急に何かに躓いてこびそうになった。勢い余って店主の背に寄りかかる。
- 「大丈夫ですか?もうすこしです」
- 「ああ・・・」
- だが、俺の心臓がばくばく言っているのは事実だった。俺は・・・こういう場所が苦手なのだ。
- 化け物だとか、幽霊だとか。俺はそういったものが苦手だ。かといって今まで見たわけじゃあない。見えないから怖いのだ。見えないものがいるかもしれない、そういう恐怖に俺は打ちのめされていたのだ。そして、この森はそういう気分にさせてくれる。これならいっそ銃撃戦の真っ只中のほうがまだ楽な気がした。
- 「あんた達は怖くないのか?」
- 必要以上に敏感になってる俺は、店主ら二人に聞いた。この二人はどうしてここまで平然としているのだろう。
- 「まあ・・・慣れですよ。ああ、あの場所のようです」
- 店主はかすかな笑みでそう言うと、ここからさらに少し奥の木を指差した。
- よく目を凝らすと、そこにあるのは木だけではなかった。人の気配・・・そして、その人影が動くたびに森に鋭い音が木霊した。まるで金属同士がぶつかり合うかのような音が。
- 「おい…まさか、あれは」
- 時計を見れば2時半を回っていた。薄暗い森の中、人影はなにやら木に打ち付けているかのような動作を繰り返す。これじゃあまるで・・・
- 「丑の刻参りです。」
- 俺の背後で青年が答えた。
- 丑の刻参りっていやあ、わら人形に五寸釘を打ち付ける、いわゆる呪いって奴だ。今ごろの時間に一人でわら人形に釘を打って相手を呪う。話には聞いたことがあったが、まさか本当にやる奴がいるとは思ってもみなかった。
- 「大体、状況からいって今日で4,5日目というところでしょうか。そろそろやめさせたほうが、彼女のためにもいいでしょう」
- 店主はそう言うと、わざと大きな音を立てるかのように一歩前へ出た。案の定、足元に転がっていた木の枝がぱきり、という音を立てる。その音で今まで断続的に響いていた金属音がぴたりと止んだ。
- 店主はそれを確認すると
- 「こんばんは」
- と、いつもの笑顔で人影に近づいていった。俺と青年も後に続く。
- 俺たちが近づいていくと、ぼんやりとだった人影の正体がはっきりしてきた。店主が「彼女」といった通り、俺よりも少し若いくらいの女だった。金槌を持ち、何が起こったのかわからないような表情で突っ立っていた。しかし、俺たちの顔がようやく見えてきたのか、ひどくおびえた表情になり、走り去ろうとした。しかし、いつの間に回ったのだろう、木の陰から青年が現われた。逃げようとする女の腕をつかみ、
- 「大丈夫だ、俺たちは何もしない」
- とつぶやいた。店主もその言葉にうなずいて、
- 「ええ、わたし達はあなたに危害を加えようとしているわけではありません。安心してください」
- といつもの笑顔でなだめた。
- 店主の言葉と笑顔に少しは落ち着いたのだろうか
- 「・・・・誰?」
- と、しばらくの沈黙の後、女は一言、喉から搾り出した。しかし、呪いの儀式をやっているとは思えないくらい弱々しい声だった。
- こんなにもおびえている彼女が、本当に丑の刻参りをしていたのだろうか。今まで自分の眼で見ていた出来事を俺は疑いたくなった。どこからそんな勇気を搾り出していたのだろうか・・・。
- 「あなたを救いにきたのですよ」
- 「私を救いに?」
- 「ええ、あなたにこのようなことをやめていただくためにね」
- 店主は女から金槌を受け取ってからにこり、とした。
- 少し、木々がざわめいた。女の心を写し取ったかのように。
- 「あなたは夜半の月の光のようになりたいのですか?」
- そう店主はいった。娘は何を言い出したのだろうと不思議な顔をしている。
- 「夜半・・・夜遅い時間に出ている月は誰も見ることはありません。しかしその月の持つ力は私達に大きな影響を与えているのです」
- 店主は空を見上げ木々の枝の隙間からわずかに見える月を指差した。月はその枝の間にあって妖しく光り輝いていた。
- 「しかし、人の思いはまるで鏡のように自分に帰ってくるものです。あなたのそれも、必ずあなたに帰ってきますよ。呪いは純粋な「思い」の塊のようなもの。あなたの思うだけ力を持つのです。そして、それが自分に帰ってくるのですよ。あなたにはそれを受け止める覚悟があるのですか?」
- 「あるわ。わたしはどうなってもいいの。あいつが・・・あいつさえ苦しめば。わたしなんかよりもあの娘を選んだあいつなんて・・・苦しめばいいの!」
- 今までの弱々しい彼女はどこへ行ったのだろう。娘はこぶしを握り締め悔しそうな、恨めしそうな顔になった。しかし、どこか哀しい顔だった。
- 「その覚悟があるのなら堂々と本人にぶつかりなさい。その方がきっといいと思いますよ」
- 店主はにっこり、と娘に微笑んだ。
- 「それが無理だから、こんな方法に出てるんじゃない」
- 「無理じゃあありませんよ。覚悟と同じくらいの勇気があればきっとできます。自分に自信を持ちなさい」
- 店主の言葉に女はそれから何も言わず、うつむいてしまった。月の光に女のほおに一筋の光が煌めいた気がした。
- 「じゃあ、あの娘は自分の男を呪ってたってのか?」
- 森での一件の後、俺たちは剣持亭へ帰ってきていた。店主と俺は青年の出した浅漬けをつまみに飲んでいる。俺は青年に酒を勧めたが未成年だから、と断られた。
- 「ええ、ここ数日具合が悪かったのは彼女が原因だったのです」
- 俺は、本当にそんなことができるのか、と思ってはいたが、この店主の言葉が異様に真実味を帯びて聞こえた。さも当然だったかのように青年と話をすすめるのだ。
- 「お父さんといらっしゃったときに彼女が少し妙だと思いましてね。少し彼に調べてもらったのですよ」
- 店主はそう言って青年をさした。青年は少し眠そうにうつらうつらとしていた。
- 「そしたら丑の刻参りだったと」
- 「ええ。しかしもう大丈夫でしょう。彼女は前向きにいきますよ」
- 店主はそう言って、笑顔で俺のグラスに自分のグラスを当てた。カチンと音を立ててグラスは中の酒を揺らす。俺はそれを受けて一口酒を飲んだ。
- 少し白みがかった戸の向こうが朝を迎えていた。
――完