『新月(3)』

りん


舞子は軋むような身体の痛みに目が覚めた。
柔らかい布団の感触…慌てて起き上がろうとすると手首に痛みが走る。

「痛っ」

身体こそ布団に横たえているが変わらず両手は固い鎖に自由を奪われていた。

(あいつ、一体何が目的なんだろう…。)

まだよく状況が飲み込めない舞子は捕まったときの事を思い出していた。

翔子との待ち合わせ場所に随分早く着いた舞子は空腹に負けて肉マンを買い食いしていた。

「餡まんもピザまんもいいけど、やっぱり肉マンよね!!」

などと呟きながらパクパクと口に運ぶ。

(なんだか今日は疲れちゃったなぁ。体がだるいや…あれ?何だか目が開かない…。)

肉マンを半分残し舞子の視界は暗転した。

次に目を開けた時は広い居間の様な所で鎖に繋がれていた。

「ここは…?」

まだぼんやりする頭を軽く振りながら辺りを見回す。
広い部屋に舞子の目で見ても高そうな調度品、しかしそこには不自然な御札がそこかしこに貼ってある。

「珍しいか?」

背後から男の声がした。振り向くと背の高い20代くらいの男が立っていた。

「この札はお前の気を封じお前達の得意な遠見をも効かなくする…いわば砦だよ。」

男はゆっくりと舞子に歩み寄った。

「あんた誰…?あたし達の事知っているの?」

舞子は身構えた。男は何をするでもなくただ歩み寄っているだけなのに、頭の中で危険を知らせる警鐘が鳴る。

「俺が誰かは扇のババアがよく知っている…闇の死操人もな。」

男は舞子の正面に回りソファにゆったりと腰掛けた。

「俺はお前達の事を何でも知っているぞ。姉の翔子の事も池田近江とかいう奴の事も。」

「!?」

「俺はお前のババアに潰された月華教の再興のため力のある女を探していた。そこでお前達の事を調べたら…俺の探していた力がそこにあることに気がついたんだ。」

男は小さく笑うと舞子を上から下まで舐めるように見た。

「全くもって素晴らしい。お前の姉も強い感応力を持っているが、お前の体から溢れだす気はそれを凌ぐ。俺は最高の女を手に入れた。」

クックックッと笑いを噛み殺す男の目は冷たく澱んでいた。舞子の背筋にゾクリとした悪寒が走る。

「あたしをどうするつもり…?」

舞子はやっとの思いで言葉を発する。

「なに、殺しはしない。珍しく俺はお前という女に興味がある。だが…。」

男はニヤリと笑った。

「お前の大切な近江君とやらとは二度と顔を会わせられないだろうな…。」

男の言葉に舞子は戸惑った。何やら深い意味を持たせたこの言葉、舞子はあとで思い知ることになる。

(それからまた変な薬かがされて…今に至るのか…。)

舞子は繋がれた手首の痛みを堪えながらため息をついた。
力自慢の自分がこうもあっさり繋がれて身動きとれない様を情けないと思いつつ食べ残した肉マンを惜しんでいた。

どれくらい経ったか、部屋には夕日が差し込み自分がさらわれてから丸一日が経ったことを示していた。

さらわれてから手首を拘束されている以外は極めて丁重に扱われているようだった。
信者と思われる女性が食事を食べさせてくれたり身体を拭いてくれたりした。しかしどの女性も精気なく無言であった。
やはりあの男に脅されているのだろうか。

部屋が薄暗くなってきた。舞子は襖が開く音に身構えた。

「いよいよ今夜だ…。」

声の主はあの男だった。布団の上に横たわる舞子を見下ろしニヤリと笑った。
動けないとわかっていても身体を捩り必死に逃げようとする舞子の姿に男は覆い被さった。

「やっ…やめて!!離してっ!!…近江君っ助けて…。」

舞子は自分に触れられた手から逃れようと必死でもがく。

「お前は俺のものだ…。」

囁くように言葉を漏らした男はさらに舞子に近づく。

「お止めなさい。」

男の動きが止まった。

「儀式まで待てないのですか?今事に及んでしまっては全てが無駄になるんですよ。」

たしなめるような声に男はあっさり身体を離した。

「わかったよ、母さん。」

男とその母親が出ていってから舞子の目からは涙が溢れた。
武道をやっていて男の人と組手をすることなんていくらでもあった。体がぶつかろうがなんとも思わなかった。
しかし今不意に男から触れられ身体中に悪寒が走り吐き気がするほど嫌悪感を感じる自分に驚きながら、女であり無力な自分を情けないと思っていた。
あの男に触れられたときに出た思いがけない一言…。

(あたし近江君の名前を呼んでた…何でだろう。)

近江とは組手はもちろん触れてもこんなに嫌じゃなかった。むしろドキドキして嬉しかった。
ある時は自分からすすんで変幻を申し出て身体を任せたこともある。
どうして彼の時は嫌じゃないんだろう…やっぱり翔子が言うようにこれは特別な感情なのかも知れない…。

(近江君…。)

舞子は近江の事を思いだし、もしかしたら汚されてしまうかもしれない恐怖に体を震わせた。