―――私立秋月学園。
「舞ちゃん、本当にいいの?」
着替えを渡される舞子に翔子が尋ねる。
「バスケの助っ人なんてやったこと無いけどさ、困ってるって言うんじゃ協力しないとね?」
「………」
ニッコリと返答する舞子に翔子が苦笑して肩をすくめる。
頼まれれば断れない人の良さも、困ってる人を放って置けないのも舞子の長所だ。
「んじゃ、着替えてくるね!!」
笑顔で女子更衣室に消える妹の姿を翔子は見送っていた。
翔子の背後では既に着替え終わった者達が睨み合っている。
これから、チーム戦に分かれてバスケットボールの試合が行われる。
戦うのは御子上率いる雑賀流古武術部員と、現役バスケット部員が混じっている黒江チーム。
古武術部の部員が、黒江弥紅率いる不良グループに挑発される形で安請け合いしてしまったのが事の発端だった。
爽太が舞子に相談し、舞子がやる気になったというわけだが―――。
翔子は舞子の消えていった更衣室の方を眺めていたが良く知る気を感じ、そちらへ視線を向けた。
体育館の入り口からこちらに向かって、鋭い目つきをした私服の少年が歩いてくる。
「近江くん」
その少年は池田近江だった。
近江も翔子に気付き、声を掛けようとしたが、黒江チームの不良が気付き駆け寄ってきた。
「池田さん!来てくれたんスね!!」
「バスケ部もいるし、こっちの勝ちだぜ!!」
何か言いたそうに視線を向ける翔子に、近江も苦笑して視線を返した。
「街で絡まれてるヤツを助けたら、絡んでたこいつらに『頼むから試合に出てくれ』って頼まれたんだ」
「……そうι」
「舞子は?」
近江が舞子がいないことに気付き、そう口にした時、女子更衣室から舞子が顔を覗かせた。
「翔ちゃ〜〜〜ん……」
「「?」」
珍しく泣きそうに頼りない声を出す舞子に顔を見合わせる翔子と近江。
「どうしたの?舞ちゃん」
翔子が不思議そうに更衣室に近付くと、舞子が着替え終わっている事に気付いた。
「着替えたの?」
「着替えたんだけど…これ、メンズなんだよ」
短パンの中に薄い布があり、股上が浅くなっていた。
「すごい履き心地悪い…。しかも、これもサイズ大きい…」
制服の中に来ていたキャミの上に渡されたユニフォームを着ている。
女性では大柄な舞子でも、かなりサイズが余っているように見えた。
「…これはちょっと黙ってられない」
「翔ちゃん?」
愛する舞子がされている酷遇に、明らかに翔子の目が据わっている。
「どうしたの?なんか怖いよ?」
「…舞ちゃん。この空間に舞ちゃんの良く知る人を入れてもいい?」
この格好で出て行かなければならないのだ。
別に見られることくらい、舞子はなんとも思っていなかった。
「いいよ」
知ってる人とは誰だろう?
疑問を浮かべながら、舞子はその人を待った。
「なんなんだよ、一体…」
半ば翔子に押されるように近江が更衣室に入ってきた。
「近江くん!!どうしてここに?」
近江の思いがけない登場に、舞子の表情が晴れやかに綻ぶ。
「扇……!!!!」
舞子に視線を向けた近江の目が見開かれた。
そのすぐ後ろには相変わらず冷たく目を細めた翔子がいる。
「舞ちゃん、この格好でバスケするんだって。…どう思う?」
「って…これで!?」
近江の言葉に翔子が深く頷く。
「何?何かマズイの?」
二人の雰囲気から良くない事だと推測できる舞子が恐る恐る訪ねる。
「当たり前だ!!バスケなんて、低い姿勢をとることが多いだろう!!」
「まあ、その方がボール取られにくいしね?」
「そっちじゃなくて…」
「?」
その格好の危うさに気づいてもらおうと、近江が助言するも舞子には通じなかった。
「舞ちゃん。そんなダボダボな格好してたら、男の人たちのイヤらしい視線を集めるよ」
翔子が的確な助言を舞子に与える。
その言葉に舞子が改めて己の格好を見下ろした。
「え?ウギャーーーーッ!!!!」
ようやく事の重大さに気付いた舞子は、両手で隠せるところだけ隠して、目の前に居た近江を睨んだ。
「近江くんのエッチ!!変態!!」
「何でだよ!!」
「いいから出てってよ!!」
舞子に更衣室から追い出される近江。
先程の舞子の叫び声で、館内の視線は近江に集中していた。
「……俺が悪いのか…?大体、俺が中に入る必要性がドコにあったんだ…」
結局近江は変態扱いされるだけで、舞子は翔子の言葉で自分のあられもない格好に気付いたのだ。
「…ハァ…。俺もう帰りたい…」
独り言を呟くと、近江はその場に腰を下ろした。
「…扇先輩に何をしたんですか」
坊主頭の少年――爽太が険しい表情で近江に近付いてきた。
「…は?何もしてないよ」
「じゃあ、どうしてあんな叫び声をあげたんですか!!」
「……知るか」
見ず知らずの相手にまで突っかかられ、近江はだんだんイライラが増してきていた。
「…逃げるんですか?」
「は?」
爽太が構えを見せる。
「これが雑賀流古武術の構え…。
…なんか腹立ってきた」
「はい?」
一瞬構えを取るものの、すぐに近江は構えを解いてしまった。
爽太は訝しげに近江の行動を見つめていた。
「それもこれもくだらないバスケの試合のせいだ。
悪いが俺は抜けさせてもらう」
近江の分のユニフォームを持ってきたバスケ部の部員を無視し、近江は歩き出す。
「ちょっと待てぇぇ!!逃げんのか、テメェ!!!!」
それを不良が黙って見過ごすはずも無く、近江は加勢するはずだったチームの不良たちに囲まれてしまう。
「やめとけ。俺の強さは知ってるだろう」
「うるせぇ!!武器がありゃこっちが有利なんだよ!!」
「それはどうかな?」
不良たちの輪の外から第三者の声が聞こえ、全員の目がそちらに向く。
「扇」
「扇先輩」
そこには制服に着替えた舞子が立っていた。
「…ごめんね、近江くん。その…変態扱いしちゃって…」
しおらしい舞子の姿に、近江も思わず苦笑する。
「気にするな」
「ありがと」
微笑み合う二人の間に暖かいものが流れる。
「見せ付けてんじゃねェ!!!」
その空気を壊したのは不良だった。
不良の武器をつけた拳が空を切る。
喧嘩慣れしているその拳を近江は難なく避けた。
「遠慮は要らないな」
「派手にいきますか!!」
いつの間にか背中合わせにポジションを取る近江と舞子。
古武術部員までもが不良に喧嘩を売られ、体育館内は大乱闘にまで発展してしまったのだった。
その一角、そんな空気もお構いなしに寛ぐ空間があった。
「なんでテメェとお茶なんか飲まないといけねーんだ!!」
「まぁ恐ろしい。私は翔子さんとお茶が飲みたいだけですの」
「…はぁ…いただきます…」
バスケの試合をするはずだった両チームのキャプテンの御子上名草と黒江弥紅、そして翔子はただ大乱闘を眺め、名草と翔子にいたっては、どこから用意されたのかお茶を啜る。
いたる所から呻き声や殴りあう音が聞こえてくる。
「…止めなくていいんですか?」
「舞子が止めるだろ」
「同意したくないけど、その通りですね。あの二人の勝利よ」
「……」
結局何の勝負なんだ、と笑うしかない翔子だった―――。