日常と奇跡

美神龍気


 

「この間お酉様が終わったと思ってたのに、十二月ってすぐだね」

 ポニーテールを大きく揺らす北風に、舞子は寒さを実感しているようだ。邪魔だと言ってしないから、マフラーをしていてもおかしくない気温の季節になってもあらわにされたままの首筋がふるっと震えている。

 赤のブルゾンにジーパンという相変わらずのボーイッシュな出で立ち。最近の舞子は赤がお気に入りらしい。それに対して翔子はベージュのダッフルコートに、焦げ茶の膝丈のスカート。対照的な装いの見本のようだった。

「そうね。気が早いわよね」

 双子の妹の言葉に相槌をうち、翔子はギンガムチェックのマフラーの緩みを直した。

 その視線の先には、デパートの壁に大々的に飾られた赤と緑の垂れ幕や金色に光を撒き散らす電飾。舞子もそれを眺め、二人は信号待ちをしているところだった。

「気が早いっていうか、日本人って、どうしてこう……」

「節操が無い?」

「そこまでは言わないけど、無宗教って言いながらお墓はお寺だし、神社にお参りしたり、教会で結婚式したりさ。ちゃんとそこの神社の由来とか、どういう神様なのかとか解ってる人って少ないじゃない。何か、そういうのって寂しいなって」

「珍しいわね、舞ちゃんがそんなこと言うなんて」

「だって、育った環境が環境だもの。あたしだって考えちゃうよ、そういうこと」

「そうね。ご先祖様がずっと大切にしてきた日本の古くからいらっしゃる神様も、祀られ続けている神様も様々で…… 海外から入ってきた宗教や神様だって、本来の役目や由来から離れた祭祀になってしまっているものも多いしね」

「何か、都合のいいところだけ利用して難しいとかよく解らないからってそういうのを考えなくなるって、変な感じだよね」

 歩行者のマークが緑色に輝いて人込みの中の二人を導く。

 彼女らのそんな会話に耳を傾ける者がいたら、いまどきの女子高生にしてはそぐわない内容に怪訝に思ったかもしれない。だが雑多な街の中では自分のことに精一杯のようで、みんな足早に追い越し、また擦れ違っていった。

「要するに舞ちゃんは、早くもクリスマスに浮かれる街で女の子二人、それも姉妹で歩いているのがつまらないわけね」

 楽しげなカップルに道を譲りつつ翔子はわざと拗ねたふうに言ってみる。

「そんなことないよ。翔ちゃんと二人でゆっくり買い物なんて久し振りだもん。楽しいわよ」

 冗談にも真剣に答える妹を見ていて、ふとからかいたくなる。

「近江くんと一緒ならもっと楽しいかも?」

「もう、翔ちゃん!」

 最近の舞子はからかうと可愛い。

「ねえ、それよりさ、お腹すかない?」

 だが、怒ってみせたのもつかの間、舞子の頭はもう別の話題に占められていた。

「さっき食べたばかりでしょ。それに、まだ何も買ってないのに。食べ歩きばっかりしてたら期末試験前だっていうのに買い物に出てきた意味が無いじゃない」

 相変わらず色気より食い気なのね、と翔子は苦笑し、ファーストフードやたこやきの店などばかり見ている舞子を引っ張って歩調を速める。

「ほらほら、買い物が先よ。近江くんにあげるプレゼント買うんでしょ。舞ちゃんが言い出したんだからね」

 この一言は効き目絶大だった。

 うっ、と黙り込んでしまった舞子はされるがままに手を引かれてデパートに連れ込まれていった。

         ◆◆◆

「医者の不養生ですね」

 きっぱりと言い放たれても、言い返せない。

 全くその通りだ。

 今日の剣持は寝間着姿で、厚手の布団に力なく横たわった上に体温計をくわえさせられていては何を言っても説得力に欠ける。

 申し訳ない意を目線で告げようとしたところへ、固く絞ったタオルを額に乗せられる。体温計を奪い取っていく近江は、声を出すのすら難儀する程痛めた喉を使うことを決して許すまいとしてでもいるかのように、てきぱきと剣持の世話に動いていた。

「熱を計るまでもなかったですね。しっかり寝てて下さいよ」

 ぶんぶんと体温計を振って(デジタルではなく水銀を使った昔ながらの物なのだ)引き出しにしまい、水差しとコップを枕元に置き、台所に氷枕を準備しに行く。

「お粥くらい食べられますよね?」

 剣持は無言で首肯した。

「作って鍋のまま置いておきますから、腹減ったら暖めて食べて下さいね。そのくらいなら起き出しても大丈夫でしょう。俺は外に飯食いに行くついでに買い物を……」

 戻ってきた近江がそう言いかけたとき、ミッキーマウスマーチが鳴り響いた。

 近江は手に入れたばかりの携帯電話をホワイトジーンズの尻ポケットから取り出して応答する。

「もしもし…… ああ、久し振り。あれ、今日は学校は…… ああ、休みか。え? 買い物? お前、そろそろ期末だろ。余裕だな。姉貴も一緒かよ。……うん、うん……」

 朦朧とする頭で聞いていても相手は舞子だなと判る。病人を気遣って部屋の外へ出て行く近江の背を見送りながら、目を閉じた。

「いや、俺も休みだけど…… あんまり暇じゃないんだ。剣持さんが風邪引いちゃってさ。声出ないから代われないけど…… 姉貴に言っとけよ、大したことはないだろうけど、見舞いに来たらって。……俺? 平気だよ」

『そ。よかった。あのねぇ、クリスマス予定無いよね?』

「断定かい。確かに無いけどさ。それで?」

『うん、あのね、プレゼント……じゃなくて、都合のいい日を聞いておこうかと思って』

 舞子が言いかけた言葉を耳にして、今日の買い物の内容はクリスマスプレゼントだということが察せられる。気の早いことだ。

「そうだなぁ。いつでもいいよ。お前に合わせられると思う」

『ホント? 嬉しい。じゃ、二十四日でいいよね。剣持さんは翔ちゃんに任せて、そっちも都合のいい日にお見舞いに行くように言っとく。さっさと回復してればデートすればいいしね』

「そうだな。で、俺らはどうする? どっか行きたいとことか……」

『うん、ある。ちゃんと下調べして決めるから。また電話するよ』

「判った」

『あっ、翔ちゃん戻ってきた。じゃね! 剣持さんにお大事にって』

「ああ、じゃあ……」

 「な」を言い終わる前に通話を切られる。

 どうやら、世間一般のカップルのようにクリスマスのデートを計画中らしい。舞子にしては珍しい。

 さて、どんな提案をしてくるやら、と思案しかけて、ふと剣持の看病の途中だったことを思い出し部屋に戻ってみる。

 剣持は話し込んでいる間に寝入っていて、室内は静かなものだった。

 氷枕を持ってきて剣持の頭の下に入れて、起こさないようにそっと部屋を出る。台所に向かった。手早くお粥を作って出掛けることにする。

 自分の昼食も作って食べていけばいいのだが、病人食と健康な者の食事を一緒に作るのは面倒だ。それに買い物もしたいので、ついでに外食してしまえば手間も省ける。

 買い物の内容も増えたことだし。

(舞子にクリスマスプレゼント買わなきゃ。さて何にしよう……)

 誕生日プレゼント以上に悩む。

「うーん……」

 取り敢えず出掛けて物色すれば思い付くだろう。

 近江は、そういう何と言うか日常の要領の良さが身に付いている自分には、非凡な経験を重ねているわりには意外と平凡な面もあるということに新鮮な驚きを感じていた。

         ◆◆◆

 日を追うごとに風が冷たくなる。

 空気が澄んでいるからか、東京都心の汚れた空の下でも、そのイルミネーションの洪水はとてもきれいに目に映った。

「まるでエレクトリカルパレードを静止画像で見てるみたいだな」

「すっごーい! キレイだねーっ!」

 舞子は目を輝かせ、赤と緑のリボンを結んだポニーテールの髪を跳ねさせて、白い息を躍らせて周りを見渡していた。カップルや家族連れでごった返す新宿サザンテラスの陸橋をはしゃぎながら少し先に行く舞子の後を、近江も目を細めながら歩いていく。

 折しもクリスマスイブ当日。高島屋タイムズスクエアに設置された、ピエロや天使、動物や雪だるま、サンタなどの光のオブジェやイルミネーションを見て歩くのは、予想していたが大変な人出でなかなか困難だった。

「金かけないでも結構楽しめるな」

 近江は、ポツリと呟いてひとつのオブジェの前で足を止めた。

 それは、ワイヤーで編んだ骨組みに小さな電球を幾つも取り付けた光のオブジェの一つで、教会の形をしていた。

「なあ、ここに来たかったのか?」

 舞子は、くるりと振り向いて近江の方へやって来て、そばのオブジェを一緒に眺めた。

「やっぱりお前も女の子だな。ロマンチックな選択じゃん」

「あーっ、ひっどーい、近江くーん」

 ふくれてみせて、ぷいと舞子が背を向けた刹那、ポニーテールが近江の頬を軽くたたいた。

「ううん。ここもいいかなって思ったけど、本命は違うんだ」

「じゃ、どこに行きたいんだ?」

 すると、舞子は光で出来た教会の中にひょいと入って微笑んだ。

「ここだよ。本物のね」

「教会? クリスマスミサか」

「そう」

「どっちにしてもお前にしては珍しいな」

「正統派のクリスマスの過ごし方でしょ?」

「成程ね。じゃ、その前に食事を先にしていこうか。この辺なら色々あるだろ」

「そうこなくっちゃ! 食事するところもね、調べたんだー♪」

「待った」

「え?」

 さっさとそこから出て来ようとする舞子を制止する。

 近江は両手のそれぞれの親指と人差し指を立てて組み合わせて四角い枠を作り、カメラのファインダーを覗く仕草で片目をつむり、それできょとんと立ちすくむ舞子を見る。

「カメラ持って来ればよかったな。そこらで使い捨て買うか」

「えー、いいよ。フィルム余っちゃうし」

 舞子は照れたふうに笑って素早く近江の腕を取り、早く食事に行こうと促した。

「どうしてまた教会に行こうなんて思ったんだ?」

「いつだったかね、クリスマスに教会の前を通ったら、そこに飾ってあたクリスマスツリーを見て、通り掛かったカップルが『へー、教会でもクリスマスやるんだー』って話しててさ。えらい呆れちゃった」

「へえ……」

「ていうか、もともとそういうもんじゃ! ってツッコミたくなったっていうか…… キリストの聖誕祭がクリスマスなのに、ただ恋人と過ごす日とかプレゼントとか、お祭り気分の都合のいい日にしちゃって、そんな常識も知らない人が多いかと思うと何だか腹が立って、呆れて……」

 舞子の言いたいことも解る気がした。現代日本は無節操な宗教行事に溢れていて、起源も由来も知らない人が多い。

「じゃ、クリスマスプレゼントも無し?」

 わざとちょっと残念そうに尋ねてみると、何故か顔を赤らめた舞子は、拗ねたふうに近江を見詰めて口をとがらせた。

「そんなこと言ってないじゃない」

「冗談だよ」

「意地悪。なら、あげない」

「じゃ、俺もあげない」

「へっ?」

 腕を離して歩きだしかけた舞子は、近江の声に目を丸くして振り返った。

「あるの? プレゼント」

「無いと思ったのかよ。それは俺に失礼だろ」

 思わず苦笑する。

「あ… あ、そうか。ごめん」

 今怒ったかと思ったらもう自分から謝っている。くるくる変わる表情は舞子の素直な性格を如実に表していて可愛いなと思ってしまう。

「飯食いに行こう。店に入ってからゆっくり渡すし、貰うよ」

「そ、そうだね」

 今度は近江が舞子をエスコートするように歩きだす。

「何だか、今日の近江くんて……」

「ん?」

「ううん、何でもない」

 遥か昔、キリストが誕生した聖なる夜。人々の救済のために降臨した救世主の誕生は、地上の人間達の中でも最も貧しく、だが正しい心を持った羊飼い達にまず知らされた。彼らは突然の天使の来訪に驚き恐れるが、祝福すべき知らせに天使に導かれてマリアの元を訪れる。夫と共に人口調査のために生まれ故郷に帰る途中のベツレヘムで産気づいて泊まった宿屋の馬小屋。神の子は自らも人間として、同じ神の子である人間を救うために高貴な血筋にではなくそのような貧しい場所で大工の夫婦のもとに産まれた―――

「……荘厳な感じがするね」

 ミサの最中、舞子はこっそりと耳打ちしてきた。

 神父の説教にはクリスマスの起源を伝える聖書の逸話が選ばれ、パイプオルガンの演奏と賛美歌、共同祈願、信者にはキリストの血と身体に見立てたぶどう酒とパンが振る舞われ、そうでない者にも祝福が与えられる儀式。

「俺、こういうちゃんとしたミサって初めてだよ」

「あたしも。クリスマスってキリスト教では一番大事な行事だから、どこの教会でも信者じゃない人の参加も歓迎してるみたい。誰でも神の子の誕生を祝えるのね」

「いい経験させてもらったな。純粋な信仰の気持ちが満ちてて、ここはすごく清浄な気に包まれてる。お前も判るだろ」

「うん。こんな雰囲気めったに感じられない」

 終了後、淡い明かりに包まれたような教会と、ミサに参加した人々の静かなざわめきの輪を抜け出して近江と舞子は空を見上げた。寒い冬の空は、晴れが続いていたせいもあってか、思いのほか星が視認出来る。それをバックに教会の傾斜した屋根と十字架を眺めて話していた二人は、そろそろ帰ろうと教会に背を向けた。

 と、その瞬間。

 近江の感覚にふわりと羽毛で撫でられたような波動が触れてきた。

「あ……」

 喘ぎのような呟きを漏らして振り返る近江を、不思議そうに舞子は見遣った。

「どうしたの?」

 声をかけても反応しない近江は舞子の声すら聞こえていないのか、ひたすらじっと教会の方を見ていた。その視線がゆっくりと上へ向けられていくのに倣ってみるが、残念ながら舞子にはその次元に確かに存在している物しか見えない。何も異常なとはなかったので、袖を引っ張ってなお近江に問うてみる。

「ね、近江くんってば。どうしたの?」

「波動が……」

 近江はようやく応えて指さす。

「あれ。扇には見えないか」

 よほど驚いているのか、苗字呼びになっている。

 ということは普段は意識して名前で呼んでいるらしい。そういえば名前を呼ぶことも少なかったため慣れていないのだ。

「何が見えるの? あたしには判らないよ。教えて、近江くん」

 瞠目していたせいか、少し潤んだ瞳でこちらを向いた近江に、舞子は少なからずどきりとする。

「こんなこともあるんだな。一緒に見よう」

「何? 見るって言っても……」

「いいから。お前だって気の流れは読めるだろう。俺と同調して、集中してみろ」

 そう言って舞子の手を取り、再び教会の方を指さす。

「いいか。よく見てみるんだ。視覚だけで見ようとしないで……」

「うん………」

 手をつないだ状態で、二人は一緒にその光景を見詰めた。

「わぁ………」

 舞子の口から、今日何度目かの感嘆の声が漏れる。

 それは例えるならオーロラだった。

 星空をバックにした教会全体から、陽炎が立ちのぼるように人々の清冽な感情を映した乳白色や薄緑や桃色の波動が沸き上がっている。それが後から後から空へと舞い上がり、すぐには霧散せずに漂って混ざり合い、さながら光の膜のように揺らめいているのだ。

「すごい…… きれい……」

「ああ………」

 冬独特の空気の清浄感だけではない。まるで神の起こす奇跡のようなその現象は、違う人が見ることが出来たならばまた別な光景として感知したかもしれない。

 とにかく二人にはそう見えた。そう感じられた。

「まさに聖なる夜って感じだな」

 頷く舞子は言葉も出せず、つないだ手を握り締めてその波動を全身で感じていた。

 興奮と感動で震えが来る。

「ありがとう、近江くん。こんな、すごい…… 何て言うか、素敵なもの見せてくれて」

「俺も。ありがとうな、舞子。今夜ここに一緒に来てよかった」

 クリスマス。

 それは、神の子が産まれ給うた聖なる夜。

 たとえ見えなくても、感じられなくても、奇跡は万人に等しく降り注ぐ。

 この世紀末であっても。

 新世紀であっても、きっと。

『全ての希望と栄光は限りなくあなたのもの。主よ、我らを導き給え』

              −終−