桜海凪
……何処かを
――漂っている。
浮きつ沈みつ。
自我というのは一体どこから生まれてくるのだろう。
生み落つる前の己はどこに漂っているのだろう。
芒洋と、そんなことを考えている気がする。
幽かに<自分>が有るような気がする。
漂っているのがどこかは知らない。ただ深い深い海に似た何処か。
もしかしたらひとによってちがうのかもしれない。
この海にいたるまえにはもっと暗い海にいたような感じがした。
膨れ上がり圧倒的なまでに迫り来る、それなのに滅びのように静やかな闇の中に。
けれど恐ろしくはなかった。誕生の苦しみを越えたら、ふたたび貴女に逢えることを知っているから――……
いつもいつも『わたし』が貴女を思い出すとき、憶えていた時、小波の音が寄せてくるのです。
そう……――『わたし』は必ずその波のゆきつく処で貴女に逢えるのです。
貴女は波の彼方に佇んでいる。
貴女が『わたし』を待っているなどと自惚れてはいません。貴女が待っている人が『わたし』であろうとなかろうと、そのようなことは貴女の姿を目にしたとき、どうでもよくなってしまうから。
『わたし』の心のうつほはたちまち至純の歓びに溢れ、そして――なにか運命の動かしがたい、≪翳り≫とでもいったものに魂が震わされる。それはむしろ至純の歓びよりも深く『わたし』のすべてを染めぬいてゆく。そのことに『わたし』は前より遥かな歓びと不思議な安息とを覚えるのです。
それは貴女の魔性のかけらなのかもしれません。
『わたし』を引き寄せるのはその純粋な闇なのかもしれません。
そうであっても――そうであればこそ『わたし』は貴女に惹かれます。
貴女が如何なる存在であろうと、かまわない。
血に染まり闇を背負ってゆかねばならぬ人であればあるほど、貴女のかたわらに居たいと思う。
貴女がどんな姿であろうと『わたし』には貴女がわかる。
けれど、不思議にも貴女はいつも『少女の姿』で『わたし』の前にあらわれるのです。
貴女の髪は常に美しい鳶色……瞳はその髪と同じ色に見えて光透ければ緑色にも金色にも様々に、稀有な彩を煌かせて。
――その瞳。ふたつの琥珀のような瞳。
それは陥穽(かんせい)。あるいは獄(ひとや)
瞬くたびに堕ちてゆき、ゆっくりと閉ざされれば『わたし』はもはやそこから出ることは出来ない。
貴女のふたつの宝玉が『わたし』をはじめて映し出したあのひとときに、
『わたし』の心はその深い湖に閉じ込められ沈められてしまったのだから。
そう、錨のように。
――その髪。その腕(かいな)。
細く細く冷たい縛め。
あるかなしかに絡みつくそれが、傀儡の繰り糸であっても『わたし』はかまわない。
――貴女の唇から『わたし』の名がもれいずるとき
『わたし』は『わたし』のあるべき魂を甦らせる。
それは言霊。『わたし』の命を芽吹かせる旋律(ささやき)。
――いや、貴女が『わたし』をとらえるのではなく
『わたし』が自ら囚人(めしうど)となる。
たとい貴女がそれを厭われても『わたし』は貴女の追い人となる。
幾度輪が巡り、別たれても逢いにゆきます。もしも輪廻が妨げとなるならそれを断ち切ってもみせましょう。
貴女に逢えればそれでいい。
貴女を護るのはどんな時でも『わたし』でいたい。だから共に居ます。
『わたし』の――……ただひとりの少女(ひと)……