初恋

りん


「待てっ!!」

近江と舞子は内調の依頼で外法師を追っていた。
相手は足早に山道を駆け降りる。

「逃がさないっ!!」

舞子は外法師の横に並んだ。
その瞬間…

「!!」

外法師の呟いた呪文と共に眩い光が舞子を包んだ。

「舞子!!」

近江は手を伸ばし舞子の体を受け止めた。その一瞬の隙をついて外法師は近江の視界から消えた。

「チッ。逃がしたか…」

近江は悔しそうに舌打ちをするが仕方ない。
取り敢えず舞子の無事を確かめる。ケガはない、光で眼を眩ませただけか…

「大丈夫か?」

近江の問いかけに目を開ける舞子…返事がない。呆然と近江を見つめる。

「どこかやられたのか!?」
慌てる近江。
舞子は暫しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

「お兄ちゃん、誰?」

「は?」

「お兄ちゃん、誰?あたしなんでここにいるの?」

状況がつかめず言葉を失う近江に舞子は大きな目を見開いたままだった。

後ろから息をきらしながら剣持と翔子が駆けつける。近江の表情から何かとんでもないことが起きていることがみてとれた。

「う〜ん、これは呪詛ですね。舞子さんは記憶を封じられたみたいです。」

扇家に戻った一行は剣持の言葉に息をのんだ。

「舞子さんは今幼児期に記憶が遡っているようです。まだ気脈が通じる前…意識は4〜5才のようです。」
剣持は舞子と話しながら得た情報を伝えた。
今の舞子は記憶が封じられ退魔法を使えない。更に外法師が捕まらないことにはかけられた呪詛は解けない。
身体は18歳だが精神は幼児…縁側から外に出て花を摘んでいる舞子を見て一行は大きくため息をついた。

「外法師のゆくえは式神が追っています。わかり次第むかいましょう。」

剣持は不安そうな翔子に笑顔で言った。それまでは自宅待機…やむを得ない事だった。

「俺が側にいたのに…。」
近江は部屋の隅で唇を噛み締めた。一番守りたいはずの人を目の前で危険にさらしこのような結果になったことを責めていた。

「お兄ちゃん。」

舞子の声に近江は顔をあげた。

「これあげる。だから泣かないで。」

舞子の手には庭で摘んだ花が握られていた。近江は舞子の純粋な笑顔に魅せられ、黙って花を受け取った。

「あ、お兄ちゃん笑った。」

舞子は嬉しそうに笑う。つられて笑う自分に驚きながら癒されていくのを感じた。

「ね、お兄ちゃん遊ぼう!!あたしね木登りうまいんだよ!!」

舞子は近江の手をとり庭に連れ出した。

そんな二人をほほえましくみつめる剣持。翔子もつい微笑んだ。

その日は式神からの有益な情報もなく一同扇家に泊まることとなった。

「舞子、ご飯の前にお風呂入りなさい。」

母の声かけに舞子はいい返事をする。

「お兄ちゃん、一緒にお風呂はいろ!!」

舞子は近江の腕をつかんだ。一瞬凍りつく周囲の大人たち…近江は真っ赤になりながら口をパクパクさせた。

「舞ちゃん、お兄ちゃんはまだ用事があるからあたしと入ろうか。」

翔子はあわてて声をかけた。渋々翔子の提案に頷いた舞子は母と翔子に促され浴室へ向かった。

「ふぇ〜」

ようやく息をついた近江はまだドキドキしていた。

「近江、残念だったな。」
錦織の声に再び顔を真っ赤にした近江だったが、斜め前から来る鋭い視線にビクッとする。
その視線の主は扇家の女主人、扇千景であった。

その夜は皆一同に眠れないようだった。
剣持は錦織と2人で術者の特定を急ぐため話し合っていた。そこに舞子を寝かしつけた翔子が加わる。
近江は風呂を終えてその様子を眺め、ため息を着きながら用意された寝室へと足を運んだ。

…俺にもっと力があれば…。

その悔しさから1人で布団に横になり天井を見上げた。ゆっくり目を閉じ呼吸を整える。

と、自分のいる部屋に近づく足音が聞こえ目を開けた。

「お兄ちゃん…。」

襖を開けて舞子が顔を覗かせた。驚いて起き上がる近江に舞子は駆け寄った。
精神は幼児でも身体は大人…薄暗い部屋で柔らかい舞子のからだが近江のもとへ滑り込んだ。
温かく柔らかい感触とほのかなシャンプーの薫りに近江は軽い目眩を覚えた。

「ど…どうした?」

高鳴る胸を抑えながら近江は話しかけた。

「こわい。目が覚めたら1人で…。」

舞子は震えていた。いつもの舞子からは想像もできないくらい弱々しく、そして頼りなげなその姿に近江は思わず抱き締めた。

そうだ、舞子は今子どもなんだ…近江は慈しむようにその髪に口づけをした。

どのくらい過ぎたのか、舞子の震えは次第に収まり落ち着きを取り戻していた。しかしまた一人になるのが嫌だといい無理矢理近江の布団に潜り込んだ。

「エヘヘ、お兄ちゃんと一緒だと安心する。」

舞子は近江の胸に顔を埋めた。その仕草に近江の胸は熱くそして締めつれられるようにきしんだ。

「大丈夫、俺が守ってやるよ。」

優しく囁き舞子の頭を撫でる。

「ホント?じゃあ舞子、お兄ちゃんのお嫁さんになってあげる!!」

舞子は満面の笑みを浮かべた。

「ああ、楽しみにしてるよ。」

「絶対、絶対だからね。お兄ちゃん他の人と結婚しちゃダメだよ。」

舞子はそういってゆびきりをした。そして安心したのか静かな寝息をたて始めた。

「約束か…。」

近江はあどけない舞子の寝顔に微笑んだ。

たとえ子どもの戯れ言でもかまわない。術が解けて今日のこの記憶が消えてしまっても、俺はかまわない。いつまでもお前を守っていくよ…。

近江はそっと目を閉じた。

「…ね、この場合起こして連れて行くべきかしら。それともわたし達だけで行くべきかしら…。」

翔子は遠見を解いて剣持と錦織に呟いた。
式神からの情報で術者の居場所を突き止めたのだ。

「敵さんは1人、この人数で行けば今夜中に片付くでしょう。今日はそっとしておきましょう。」

剣持は翔子の肩をポンと叩いた。

翌朝、舞子はいつもとは違う温かく柔らかい心地よさのなかで目覚めた。

「うん…」

自分を守るように包み込む優しい手、固い胸板、甘い吐息…

「ん?」

目を開けると目の前には近江が自分を抱き締めたままの姿勢で眠っている。

一瞬、舞子は何が起きたか分からなかった。
次第に今おかれている状況がわかってくると鼓動が高鳴り顔が熱くなってきた。
「あ…おはよう。舞子起きてたのか?」

舞子動揺が伝わったのか近江も目を覚ました。

「なっ!!なんであたし近江君と一緒に寝てるの!?」

あわてて布団を飛び出した舞子に近江も目を丸くする。

「お前、記憶が戻ったのか?」

真っ赤な顔の舞子に近江は駆け寄ろうとした…その瞬間。

「!!」

背後からの殺気に振り返った。そこには鬼のような形相で仁王立ちをする千景の姿が…。

「いや、あの、その…」

しどろもどろの近江。

(何だよ、いつの間に術者を倒したんだよ!!聞いてねえよ〜!!)

昨晩のうちに術者は剣持達に封じられ舞子の記憶は戻っていた。

「あら、ごめんなさいね。あんまり気持ち良さそうに寝てたから起こさなかったの。」

千景の後ろからクスクスと笑う翔子。
興味津々の錦織としれっとお茶を飲む剣持の陰謀を感じながら近江は千景の無言の圧力に耐え続けた。

(舞子、お兄ちゃんのお嫁さんになってあげる!!)

近江の小指には昨夜の指切りの温もりがまだ残っていた。