今日はなんの日?(錦織さんの休日)

りん


誕生日と休日が重なったのは久しぶりだった…その人は後でこんな事を呟いていた。

弥生3月、年度末の忙しい時期にめずらしく連休がとれた錦織は長めの朝寝を決め込んでいた。
目覚まし時計を見るともう10時を回っている。

(どうせ休みっていってもする事ないしな。もう少し寝るか…。)

ベッドの中でため息をつくともう一度目を閉じた。
しかし、彼の目論みはあえなく崩れることとなった。

ピンポーン

玄関のチャイムが鳴る。錦織は居留守を決め込もうと布団を被る。しかし…

ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン

そうはさせまいとチャイムが鳴り続けた。

仕方なくベッドから起き上がると欠伸をしながら玄関へと向かった。

「はいはい、どなたですかー?」

錦織は玄関の戸を開けた。

「やっぱりまだ寝てたんですね。錦織さん、おはようございます!!」

そこに立っていたのは池田近江だった。

「なんだぁ?よくここがわかったなぁ。」

「早瀬さんからお休みだって聞いたので…。ついでに住所も聞きました。」

「へえ、早瀬からねえ。まぁ、取り合えず入れよ。」

錦織は近江を自宅に招き入れた。

彼の自宅は2LDK、国家公務員の住居としてはいたって質素だ。家具も必要最小限しかなく生活感はあまりない。
それもそのはず、錦織の仕事は怪しい事件があれば全国津々浦々、どこへでも出掛けていく仕事なのだ。
現地でホテル暮らしすることも多々あり自宅に戻ることは少ない。
その為休暇もあってないようなものだが、年度末になり総務課から有給の消化を指示され連休と相成ったのだった。

「意外と部屋キレイですね。」

リビングに通された近江は部屋を見渡して呟いた。
錦織はとりあえず洗顔・歯ブラシをすると着替えを済ませた。

「まあな、ほとんどここで過ごすことがないからな。散らからないんだよ。」

それでもテーブルの上の灰皿ははヘビースモーカーの錦織らしく山盛りになっていた。錦織は灰皿の中身を片付けソファに腰掛けた。

「で…、今日はどうしたんだ?恋愛の相談か?扇家のじゃじゃ馬お嬢さんと何かあったとか?」

錦織はニヤリと笑うと煙草に火をつけた。

「ち、違いますよ!!今日は他の用事です!!…それに俺と舞子はその…あの…。」

真っ赤になってゴニョゴョと俯く近江。頭をブンブンと振ると顔をあげて錦織を見た。

「そんな事はいいんですよ!!錦織さん、今日がなんの日だか忘れたんですか?」

錦織は何ヵ月も捲っていないカレンダーに目をやり苦笑い。
近江はため息をつく。

「今日は錦織さんの誕生日ですよ…。」

錦織は目を丸くした。

錦織は昨日まで仕事で東北に出掛けていた。結局自宅に戻ったのも日付が変わってからだった。
その為年一回のこの日をすっかり忘れていたのだ。まあ、誕生日なんてここ何年も祝ってなかったから尚更だったようだ。

「あ〜、そうか。忘れてたよ。」

ははは、と笑う錦織は煙草を灰皿に押し付けて消した。

「それで今日は自宅訪問に来たというわけですよ。」

近江は時計を見ると「そろそろかな…」と呟く。なにがそろそろなのか首をかしげる錦織は新しい煙草に手を伸ばした…その時。

ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン

先程の近江のチャイムより勢いよく鳴った。

「なんだぁ?今日は来客の多い日だな…。」

錦織が玄関に向かう。ドアを開けるとそこには扇姉妹が立っていた。

「錦織さんこんにちわ。」

翔子は一礼する。

「誕生日おめでとうございます!!」

舞子は満面の笑みだ。

「あ…ああ、ありがとう。まあ、上がってくれ。」

錦織は面食らいながらも2人を中に招き入れた。
扇姉妹は大量に詰め込まれた買い物袋、そしてケーキの箱を抱えていた。

「なんだい?その大量の買い物袋は…。」

「何って…焼き肉セットですよ!!や・き・に・く!!」

舞子は両手に抱えていた買い物袋を床に置くと笑顔で答えた。

「今日は錦織さんの誕生日で、しかもお休みだと聞いたので押し掛けパーティと思いまして。」

翔子も笑顔でケーキの箱をテーブルに置いた。

「いや、そんな…高校生にお金遣わせるわけにはいかないよ…。」

翔子はにっこりと微笑む。

「ご心配なく。今日は我が家の大御所からスポンサーになってもらってますから。」

こいつらの後ろには扇のばあさんがいるのか…と思うとつい苦笑い。

「俺は金がないので料理の腕を振るいます!!」

近江はサッと腕捲りをして100万ドルの笑顔で爽やかに言った。

「あたしも手伝うね。」

舞子も腕捲りをすると買い物袋を持ち上げた。

「錦織さんキッチンお借りします。」

2人はリビングからキッチンに移動する。普段使うことのほとんどないキッチンはきれいに片付いていた。まあ、物がないともいうのだが…。

キッチンでは2人が小競り合いをしながら料理を始めた。
包丁の使い方がどうとか、野菜の切り方がどうとか、男のくせに細かすぎるとか…しかし明らかに近江の方がリードして料理は進んでいった。

「なんだか新婚家庭の台所事情みたいだな…。」

そう呟く錦織に翔子はクスクスと笑う。

「本当。きっとあの2人結婚してもあんな感じなんでしょうね。」

微笑ましい光景に錦織は笑みがこぼれた。そして吸いかけていた煙草に手を伸ばし火をつけた。

近江の手際よさは以前剣持宅で鰤大根を食べた時より上達していた。
元々繊細な彼は調理も盛り付けも難なくこなす。これなら大雑把な舞子の夫もきちんとつとまるだろう…。

時計の針は12時を回っていた。
舞子は焼き肉用の肉を皿に盛りつけテーブルへと運ぶ。
そこには錦織がここに住んでから数年間使ったことのないホットプレートも棚から出され用意されていた。翔子は取り皿を銘々の席に置きいつでも始められるように準備していた。

「あれ、皿と箸が1人分多いみたいだが…。」

錦織は用意された食器を数えて呟く。

「あら、大切な人を忘れてませんか?」

翔子が悪戯っぽく笑うと…

ピンポーン

玄関のチャイムが鳴った

錦織は恐る恐る出てみるとそこには闇の死操人、剣持司が不適な笑みを浮かべて立っていた。
その手には一升瓶が3本、それぞれ美酒と名高い銘柄のものが抱えられていた。

「遅くなりました。もう始まってましたか?」

この訪問がごく当たり前のように剣持は奥を覗いた。

「いや、まだだ…。まあ、上がってくれ…。」

拒否権はないとばかりに圧倒され錦織は剣持を中に招いた。

「え〜、ではこれより錦織さんの誕生会を開催したいと思いま〜す!!」

舞子は元気な声で言った。

「なんでお前が仕切るんだよ…。」

さりげなく不満をもらす近江。2人はまたあーでもない、こーでもないと揉め始めた。

「まあ、仲が良いことはいいことですがイチャイチャするのはそのへんにして…乾杯しましょうか。」

クスクスと笑う剣持はグラスを手に持った。
近江と舞子は真っ赤になって大人しくなる。

「じゃあ堅苦しい挨拶はやめて…錦織さん誕生日おめでとうございます。乾杯!!」

剣持がグラスを掲げると皆も手元のグラスを掲げ、錦織のそれにカチンと合わせた。

「あ…ありがとう…。」

錦織は少し照れながら冷酒を一気にあおった。

内調で仕事をはじめて数年間、誕生日を誰かと祝ったことはなかった。
仕事に追われ気がついたらその日は過ぎていた…なんてことがほとんどだった。

ここにいるのは仕事で知り合った呪術師達、いわゆる依頼人と請負人というドライな関係だ。いや、その筈だった。
しかし今こうして自分の誕生日を心から祝ってくれている面々に人としての温かさが感じられた。

(内調なんて因果な商売と思ってたが…悪くないかもな…。)

錦織は小さく笑った。

「では、いただきま〜す!!」

早速舞子は大好きなカルビを鉄板の上に乗せて焼きはじめた。
翔子は女性らしく皆の取り皿に料理を取り分ける。

「うん、この揚げ浸し旨いな。酒がすすむ。」

錦織は近江が作ったつまみを食べながら呟く。

「近江君料理上達しましたよね。これならいつでもお婿に行けますね。ね、舞子さん。」

舞子は突然話題を振られビックリしてカルビの肉を喉に詰まらせた。

「舞子、これを…。」

目を白黒させる舞子に近江はグラスを渡す。舞子はそれを一気に飲み干した。

「あっ、舞ちゃん。それはお酒よ!!」

翔子の声は間に合わず、舞子は空になったグラスをテーブルの上に勢いよく置いた。

「おいしい!!」

舞子は笑顔で言うと「もっと注げ」とばかりにグラスを差し出した。

「おや、舞子さんいける口ですね〜。」

剣持はためらわずに注ぐ。

「剣持さん、そんなに飲ましちゃダメですよ!!」

慌てる近江にも剣持は酒をすすめる。近江は仕方なく小さなお猪口を空けるとすぐに赤くなり

「だからね、剣持さん。俺を酔わせてどうしようっていうんですか。」

目の焦点が合わなくなった。

錦織は珍しく表情を和らげ剣持や近江、そして扇姉妹と酒を酌み交わした。
そして昼に始めたはずの誕生祝いだったが気がつくと夜の帳がおりていた。

翔子は真っ先に酔いつぶれソファに倒れ込んだ。
目の焦点が合わなくなった近江だが時々意識は朦朧とするものの最後の方まで起きていた。しかし舞子が酔いつぶれると一緒になってカーペットの上に横になった。

あとに残されたのは錦織と剣持の大人2人組だった。

「今日は押し掛けて来てしまってすいませんでしたね。」

剣持は錦織のグラスに酒を注ぐ。

「いや、こうして誰かに誕生日を祝ってもらうのは子どもの時以来だからな。嬉しかったよ。」

錦織はグラスを空けて呟いた。

「それなら良かった。企画した甲斐がありました。」

錦織は剣持の言葉に思わず吹いた。

(剣持の企画だったのか…。てっきり舞子さんあたりだと思っていたが…意外だ。)

錦織は依頼人と請負人というドライな関係を保ちつつ、人として信頼できる仲間としての関係であることに居心地の良さを感じていた。

「今年一年、また宜しくお願いしますね。」

剣持は呟くと手に持つグラスを空にした。
今日彼が持参した日本酒はあと一本。錦織にとって長い夜になりそうだ。

ハッピーバースデー、錦織さん。

(終)