紅葉の里

りん


バイクは風を切って走る…次第に住宅はなくなり人気のない静かな山道へと進んだ。
景色に目をやると山々が紅葉し、美しい錦を織り成している。あの時は気がつかなかったその土地の美しさに飲み込まれそうになる。
近江はアクセルを踏み込みスピードを上げた。

「着いたぞ。」

近江はバイクを止め吊り橋近くの広場にバイクを停めた。
ここから里に入るには徒歩で進むしかない。ヘルメットを外しバイクにくくりつけると念のために持ってきた雨避けシートをかける…ここは山の最深部、雨だけでなく夜露に濡れることも多いからだ。
一通り支度が済むと近江は先程まで自分の後ろに乗っていた人物…舞子に声をかけた。

「待たせたな、行こうか。」

吊り橋の手前で景色に見とれていた舞子はポニーテールを揺らしながら頷いた。

2人は吊り橋を渡り里に入った。
以前はもっと活気があった場所なのに、今は人も疎らで廃屋も目立つ。
そうだ。この里は呪法を用いて天下をとろうとし、敗れたのだ。
それを敗ったのは誰でもない自分達…。近江は自然と口数が少なくなっていた。

「本当、きれいな所だね。前に来たときもそう思ったけど、今は流れる気も澄んでるね。きっと近江君のお母さんがキレイにしてくれてるんだね。」

舞子は近江の顔を見ながら呟いた。

そう、今日は宿儺の里に住む母親に会いに来たのだった。
近江はあれから一度も母に会っていなかった。母の抱えていたもの、兄の思い、そして自分のした事を思い出させるこの土地は決して気軽に訪れる場所ではないから。
今回宿儺の里に足を踏み入れる決意をしたのは自分のこれからの人生に思うことがあり、一つのけじめの意味があった。
それでも1人で行くのが躊躇われ、なんだかんだ別の理由をつけて舞子を誘ったのだった。
舞子は二つ返事で了承し

「近江君のお母さんに会うの久しぶりだな。楽しみだね!!」

そう言ってくれた。
近江は舞子のこの明るさに幾度となく救われた。そして今も足取りの重い自分の気持ちを軽くしてくれる…敵わないな、近江は心の中で呟いた。

「近江!!」

近江は道の先で手を振る人影に目をやった。
その人は奈良に住んでいた頃とは別人のような晴れやかな顔で佇んでいた。

「母さん…。」

近江は元気そうな母の姿にほっと安堵のため息を漏らした。

「もう、急に来るなんて言うんだもの。もっと早く言ってくれたら色々用意したのに…。」

それでも近江の母、真奈美は嬉しそうだ。

「舞子さん、久しぶりね。あの時はお世話になったわね…。翔子さんはお元気かしら?」

舞子は笑顔で答える。

「はい、翔ちゃんも元気です。おばさん、お世話になります。」

3人は現在真奈美が住居として使用している家に入った。
合掌造りのその家は古いが趣があり、天井が高く囲炉裏からのぼる湯気が立ち込めていた。

「母さん、柊の家には住まなかったのか?」

近江は出されたお茶を一口すすって呟いた。
真奈美は首を横に振ると手元の茶碗をじっと見つめた。

「たしかにあそこは私の生まれた家だけど…帰れる場所じゃないわ。」

小さくため息をつく。

「今あの家は柊家の分家の方が管理してくれていて、私は恭一と千尋さんの弔いをする為だけに寄らせてもらっているわ。」

そう、近江の母親は実の弟とその娘である姪をこの闘いで死なせていた。

自分がこの里を出ようとした日に見た、弟の顔が未だに焼き付いて離れない。
またその弟である父親に生き写しのようだった姪…彼女は女としての幸せを知ることなく散ってしまった。

真奈美は罪深い己の血筋を受け止めこの地にとどまることを決めたのだ。

そして闘いの最後で近江がその手で命を絶ったかつての夫をも受け入れ弔っていたのだった。

「おばさん、この前辰王に会いました。あたしたちが苦戦していたら現れて…助けてくれました。」

舞子は笑顔で続ける。

「辰王、本当はすごい優しい人なんですよね。素直に感情は出さないけど…そんな所は近江君とよく似てるかも…。」

近江は思わぬ舞子の言葉に飲みかけのお茶を吹き出した。

「おっ…お前、何言ってんだよ!!」

真っ赤になって慌てふためく近江に舞子はしれっと答える。

「だって本当の事だもん。」

2人のやり取りに真奈美は微笑ましくなった。
奈良にいたときは人を寄せ付けない雰囲気だった息子がこんなに正直に感情を表している…すべては今目の前にいる少女のお陰なのだとすぐに解った。

「ねえ、舞子さん。今日は山菜をお料理に使おうと思うんだけど、食べられるかしら。」

真奈美の言葉に舞子は大喜び。

「わあい。あたし山菜大好きです!!」

「ってか、何でも食えるんだろ?お前が好き嫌いしてるとこなんて見たことないぜ。」

そんな舞子にさっきの仕返しとばかりに呟く近江。
普段ひっそりとしているこの家に明るい笑い声が響いた。

夕暮れ時、真奈美は台所に立って夕食の用意をしていた。

「おばさん、手伝います。」

そう言って舞子は真奈美のいる土間に降りる。

「あら、ありがとう。じゃあこのお芋の皮向いてもらえるかしら?」

真奈美の言葉に舞子は笑顔で頷いた。
不馴れな包丁の扱いにハラハラしながらも、一生懸命に取り組む姿に真奈美は微笑んだ。

「今日は舞子さんが一緒に来てくれてよかったわ。あの子、そういう所神経質でいつまでも悩むこと多いから…。」

真奈美の言葉に舞子も頷く。

「近江君、すごく繊細だから…。あたしなんて大雑把だから近江君にいつも呆れられちゃって。」

舞子の包丁を持つ手が止まった。

「でもすごく優しいし、頼りになるし…。あたし近江君と一緒に闘うことができてすごく幸せです。」

舞子の言葉に真奈美は確信した。
この少女もまた息子に特別な感情を抱いている…それは彼の冷えた寂しい部分も知りながら、それさえも受け入れようとしているのが解った。

自分の都合で手放さざるを得なかった息子がいつのまにか成長し、こうして自分をあるがまま受け入れてくれる人を探し出したということがたまらなく嬉しかった。

「舞子さん、あの子の事宜しくね。私、今日あなた達に会えて本当に良かったわ。」

真奈美は一筋の涙を流しながら舞子を見た。
舞子は黙って頷いた。

夕食後、入浴を済ませると舞子は眠気をもよおし一足先に布団に入った。

近江は久しぶりに母子水入らずでの時間を過ごす。

「母さん、今日は急に来て悪かった…しかも舞子も一緒だなんて…用意するの大変だったろう?」

近江は囲炉裏に向かいながらお茶を入れる真奈美に呟いた。
真奈美は熱いお茶を渡しながら首を横に振る。

「あら、そんなことないわよ。息子が可愛い彼女を連れてくるんだもの。嬉しいわ。」

「かっ…彼女って!!いや、その…それは…。」

近江は照れ隠しにお茶をすすった。真奈美は続ける。

「母さんはあなたに謝っても謝りきれない犠牲を強いた…あなたにとって宿儺一族の問題は関係ないもの…。母さんの息子として生まれたがゆえに背負わせてしまった事、今でも申し訳なく思うわ。」

近江は黙って真奈美を見る。

「でも、あなたは私を救い出してくれた。舞子さん達と力を合わせて一族を呪縛から絶ち切ってくれた。」

「母さん…。」

真奈美は目頭を押さえながら囁く。

「あなたも、洋江も、私の大切な息子。私には勿体ないくらいできのいい息子だわ…。近江、あなたは日の光が当たる世界をお生きなさい。」

近江は真奈美の言葉に小さく頷いた。

2人の間に静かな時が流れる…真奈美は手に持った茶碗をコトリと置いた。

「近江、舞子さんを大切にしなさいね。あなたにとってとても大切な人なはず…側にいて離れないようにね。」

近江は真奈美の言葉に真っ赤になりながら反論を試みる。

「いや、その、だから…舞子は俺にとって…。」

しかし百聞は一見にしかず、真っ赤なその顔がすべてを物語っていた。
微笑む真奈美に近江は反論を諦め誤魔化すように席を立った。

「もういいよ、俺も寝る!!」

勢いに任せ襖を開けた近江だったが、閉める前に振り返り真奈美の顔を見た。

「ありがとう、母さん。」

真奈美は笑顔で頷いた。

「おばさん、ありがとうございました。お邪魔しました。」

舞子はポニーテールを揺らしながら頭を下げた。

「とても楽しかったわ。舞子さん、また来てね。」

真奈美の言葉に舞子は満面の笑みで返した。

「じゃあ、母さん。またな…。」

近江はそう言うと舞子と共に吊り橋へ向かった。
真奈美は手を振る…そして息子達が吊り橋の向こうに見えなくなるまでその手を振り続けた。

近江は抱えていた思いが少し軽くなったのに気がついた。
全てを許されるとは思っていない。
だが今ここにある温かい存在を側にいて守り抜くことで少しでも償うことができるなら、喜んでこの命を差し出そう。

近江は再び紅葉が美しい山道を走り出した。
今度は大切な人の為に生きるために…。

(終)