りん |
街は美しいイルミネーションで彩られ、もうすぐ訪れる聖なる夜を待ち望んでいるようだった。 「また喧嘩したんですか?」 彼の勤める鍼灸院の主人、剣持司は単刀直入に聞いた。 「はい…。」 珍しく素直に答える近江に剣持は原因を訊ねる。 「…他愛のないことですよ。俺が女心に疎いのが悪いんです。」 近江は先日の休日の出来事を思い出していた。 その日は舞子の友人のすすめもあり都内の美術展に足を運んでいた。 2人は『魅惑の宝飾展』と書かれた看板を横目に静かな美術館に入っていった。 「キレイ…。」 舞子は宝石の怪しい光に魅了された。世の女性達を虜にして止まない、宝石にはそんな魅力があるようだ。 「ね、近江君。見て…この石、昆虫が閉じ込められてる。不思議だね…。」 舞子は特に琥珀色の石に魅せられてじっと見つめている。 近江はその石が放つ不思議な波動を感じていた。 「不思議だな…まるで生きてるみたいだ。」 近江も舞子と共に吸い込まれるように石を見つめていた。 宝石展の最奥の展示室には大きなエメラルドが展示されていた。 「昔の人ってロマンチックなんだね。奥さんのためにこんなに素敵なものをプレゼントするなんて…。」 舞子はうっとりとその輝く愛の証を見つめていた。 「でも舞子はこういったプレゼントより食べ放題とかの方が嬉しいだろ?」 近江はいつものように笑いながら膨れる舞子を想像していた。 「!!」 舞子はすごく悲しそうな表情で目に涙をためていた。 「舞子…?」 近江は舞子の頬に触れた。しかしその手は舞子の手によって弾かれ、その衝撃で一粒の涙が零れた。 「ひどいよ、近江君…。確かにあたしは食べ物の事人一倍好きだけど…今は真面目に話してたのに…。」 舞子は目を閉じた。 「ごめん、今日は帰る。」 舞子は涙を拭いながら近江の手を振り切り駆け出した。 「…まあ、近江君の気持ちもわからなくもないけどね〜。タイミングが悪かったわね。」 翔子は落ち込む妹を慰めながら呟いた。 「で、あれから連絡とってるの?」 翔子の言葉に舞子はブンブンと大きく首を横に振る。 「近江君からメールとか電話とか来てないの?」 舞子は小さい声で答える。 「すぐにゴメンってメールが来た…でもあたしは返してない…。」 舞子は抱えていたクッションに顔を埋めた。 「舞ちゃん、近江君と仲直りしたいんでしょ?ちゃんと返事しなくちゃ。近江君の事だからきっと今ごろ食事も喉を通らないくらい落ち込んでるよ?」 携帯を舞子の手に押し付けると翔子はギュッと握った。 「舞ちゃんがどうして宝石展に行きたかったか近江君がわかってたらあんな事は言わなかったはずだよ。勇気出して…ね?」 舞子はその携帯を握りしめ小さく頷いた。 「まったく舞子はいつまでも喧嘩しておって…毎朝3杯は食べるあやつがおかわりをしなくなるなど天変地異が起こるわ!!」 千景は心配しながらも頑なに仲直りをしない孫娘に業を煮やしていた。 「そうよねぇ、毎日ご飯が余って困るわ。」 母である朝子は別の心配もしているようだ。 「ところで翔子、あの宝石展にはどんな謂れがあるんじゃ。舞子が食べ物以外で興味を示すとは…。」 翔子はそれまで黙っていたが手に持っていたコーヒーカップを置くと話し始めた。 宝石展の最奥に展示してあったエメラルド…別名永遠の愛の石…はかつての持ち主の由来からか、その前で愛を誓うと永遠のものになると言われている。 舞子は友達からその話を聞いて近江と一緒に見に行ったのだ。 「舞ちゃんにとって一世一代の大勝負だったんでしょうね〜。」 翔子は小さくため息をつく。 「あら、じゃあ舞ちゃん遂にその気になったのね!!一緒に道場開きたいって言い出したときからそんな気がしてたのよ〜。」 朝子は目をキラキラさせて喜んだ。 「まあ、時間はかかったわよね。近江君、草食系っぽいし…。」 翔子もフフフと笑う。 「何が草食系じゃ、馬鹿馬鹿しい。簡単な話じゃないか。今の若者はそんなものにすがらなきゃ大事なことも言えんのか!!」 元祖肉食系千景は荒々しく茶碗をテーブルに置いた。 「まあ、もう少し様子を見ましょう。」 翔子の提案に各々思いはあるものの見守ることに決めた。 近江は仕事を終えるとバイクで鍼灸院を後にした。明日に迫ったクリスマスのプレゼントを選びに出掛けたのだ。 きらびやかな街の光に目を細めながら近江はゆっくり歩いていた。 なんだかあの時の舞子の泣き顔を思い出し胸が痛んだ。 「ねえ、これって永遠の愛の石でしょ?」 近江の後ろで女の声がした。 「そうそう。この石の前で愛を誓うと永遠に愛しあえるって噂だよね。」 と、もう1人の女の声。 「いいなあ〜。私もこの石の前でプロポーズされたいな〜。」 「逆プロポーズでもいいよね〜。そんな相手欲しいな〜。」 女達の雑談を耳にした近江は愕然とした。 舞子が珍しく宝飾展なんかに誘ったのは… (俺はなんてバカだったんだろう…。) 近江は思い立ってその宝飾店に飛び込んだ。 クリスマスイブは舞子にとって憂鬱な1日だった。 「舞ちゃん?」 翔子は部屋に閉じこもっている舞子に声をかけた。 「ん…?」 舞子はだるそうに顔をあげる。 「その…今日は何か予定あるの?」 遠回しに近江との事を聞く。舞子はただ黙って首を横に振った。 「そう…。」 翔子は今度の喧嘩は根が深いと改めて思った。舞子のために何かしてあげられることはないのか…。 その時、チャイムの音と共に玄関が開く音がした。 「なんじゃ、近江。血相変えて…。」 千景の声がする。 「すいません、舞子さんをお借りします!!」 そう言うと近江は奥の舞子の部屋へ向かう。 「「近江君!!」」 舞子と翔子の声がハモった。 「翔子さん、舞子をお借りします!!」 近江は舞子の腕をつかみ強引に連れ出した。事態に驚いた翔子だったが、慌てて近江逹のあとをおいかけ舞子のコートを手渡した。 あとには呆然とした千景と翔子が残された。 「近江君、何なの!?腕が痛いよ!!」 舞子の言葉は近江には聞こえない。近江は黙って舞子の手を引いて歩き、舞子も仕方なくそれについていった。 「ここは…。」 舞子は目を丸くした。 黙って受付を済ませ奥へと進む。そして最奥の展示室へ辿り着いた。 ようやく足を止めた近江は舞子の方を振り返った。 「舞子…ごめん…。俺あの時お前の言葉が照れ臭くて子どもみたいに誤魔化すことでしか応えられなかったんだ。」 近江は掴んでいた腕を離し舞子の目を見つめた。 「本当にごめん。」 近江の瞳は真っ直ぐだった。嘘や誤魔化しのない誠実なその態度に舞子は少し照れたような表情で首を横に振った。 「あたしの方こそずっと連絡しなくてごめんなさい…。」 舞子はようやく抱え込んでいた気持ちを近江に伝えることができた。 「それで今日ここに連れてきたのは謝りたかったのともうひとつ、これを渡したくて…。」 近江はポケットから小さな箱を取り出した。 「え…。これ…。」 舞子は目を大きく見開き言葉を失った。 「俺はまだ未熟で金もチカラもないし…こんな小さな石でしか愛情表現できないけど…。舞子の事を幸せにしたい。できれば永遠に…。」 近江は舞子をじっと見つめる…舞子は嬉しさと驚きと愛しさから涙を溢した。 「うん…。あたしも近江君とずっと一緒にいたい…。」 近江は箱から指輪を取り出すと舞子の左手の薬指にそっとはめた。 「キレイ…。なんだか永遠の愛の石のカケラみたい。ありがとう。」 舞子ははめられた指輪をギュッと握りしめ笑った。 周囲から沸き上がる拍手…2人は宝飾展に訪れていた客からも温かい祝福を受けたのだった。 今宵はクリスマスイブ。 深い翠に輝く愛のカケラによって…。 (終) |