弥生の宵 あなじに惑いつ月疾るの抄

美神龍気


 
「……くん…近江君」
 剣持は野菜や魚の切り身の入ったビニール袋を下げながら『昼休み中』のプレートが掛かった扉を開けて何度か声をかけた。
 が、返事が無い。
 霊的な事件さえ無ければ鍼灸医として看板を掲げている剣持の診療所。ここには今、主である剣持の他に手伝いのお春さんと、住み込みで働きながら修業中の近江がいる。
「近江君、帰りましたよ」
 今日は通いのお春さんは休み。昼食と夕食の材料の買い出しに行っている間、少し身体を動かすと言って近江が留守番を兼ねて残っているはずなのだが。
(………?)
 聞こえないはずは無いし、何よりもまず気配を察していつもなら出てくるのに、その様子も無い。
 近江はもともと礼節を守る少年であるため、こんなことは考えにくいことではあった。
(まぁ、稽古に夢中になっているんでしょう)
 数秒玄関で佇んだ剣持だったが、気を取り直して診療所兼住居に上がった。ビニール袋をがさつかせつつ台所に向かう。
 すると。
 水音がする。
 蛇口を一杯に捻って、何か洗い物でもしているような。
「近江君?」
 台所を覗き込むと、はっと振り向く近江と目が合った。
「あっ、おかえりなさい」
 少し震えた声でそう応じる近江の表情よりも、その水にさらした左腕に視線が行く。
「どうしたんですか?!」
 思わず剣持は少々乱暴にビニール袋をテーブルに置き、駆け寄った。
 近江の左腕には、肘のやや内側から十五センチ程手首に向かってざっくりと裂傷が走っており、水道水に洗われてなお傷口から血が流れ出ていたのだ。
「あ、ちょっとその…… 大したことは……」
 近江は、怪我をしているというのにまるで悪戯を見付かった子供のような面持ちで目を伏せた。
「何言ってるんです。さぁ、早く血止めをして。もう傷口は充分洗ったでしょう。こっちにいらっしゃい。手当してあげます」
「すみません。流しを汚して」
「そんなのはいいんですよ。それより、一体何をしたんです?」
 最初は驚いていたものの、瞬時に医者の顔になっててきぱきと準備をする剣持に、ますます決まり悪さが増していったが、黙っているわけにもいかず事情を説明することにした。
 泥で派手に汚れたTシャツとトレーニングパンツを気にしながら診療所に入る。
「表で、型の稽古をしていたんです。その後、掌打と発勁を…… でも今日はその……ちょっと集中出来なくて」
 剣持は、消毒液とガーゼを両手に目を丸くした。
「それは近江君らしくないですね」
「はぁ…… それで、砕けた木片が飛んできて……」
「それを避けようとした?」
「はい。バランスを崩して転びまして。ちょうどそこに落ちていた割れた木切れが、腕に」
「そうですか。昨日発勁の的にしていた木片で怪我をしたんですね。片付けていなかったんですか?」
 そう問われて返事が出来なかった。
 気まずかったからではない。ちょうど傷口を清める酒を吹き付けられて、痛みに息がつまったからだ。
「あ、しみました? ……片付けを怠ったのもあなたらしくないですね……っと、よかった、さほど傷は深くないですね。下手すると即麻酔して縫うことになるかとも思ったんですがね」
 穏やかな中に微かに意地悪い旋律を乗せて手当を進めていく。
 薬を塗り、やんわりと咎める声音に傷よりも心が痛んだ。
 そうしている間にも、剣持は手際よく手当していく。返す言葉が無い。
「……はい。自分の不注意です」
 自分がひどくみっともなく思えて、ようやくそれだけ口にする。
 剣持は答えず、薬を塗布したガーゼと油紙を包帯で押さえて巻きつつ軽く嘆息してみせた。
 その口元が微笑んでいる。呆れているというより、どこかいたわるように、微笑ましく見守るかのように。
 不思議だった。
 まるでこちらの胸の内を察しているようで。
 注意力散漫で怪我をしたのを馬鹿にするでもなく、怠慢な稽古の結果を責めるでもなく。それでも、そうしない理由を持っているとは思い当たらない。自分はまだ核心を打ち明けていないのだから。
(でも、剣持さんのことだから、とっくに気付いているかもな)
 と、包帯が巻き終わるまでしばしぼんやりする。
 その視線が机の上に置かれた日めくりの暦に、次に壁に掛けられたカレンダーへと移った。
 三月十四日に、この診療所の休みを示す赤丸が書き込まれている。
 例の、『あの日』だ。
(あれから、もうひと月たつんだ。舞子に、ケーキをもらってから。何か、返さないと……)
 そう、何か。
 それこそが理由であり、核心。
(嬉しかったから。だから、何か、あいつの喜ぶものを、返したいけど……)
 今まで無かった。
 こんなに一人のことを、一つのことを考え続けることなんて。
「はい、終わりです」
 きゅ、と端を結びながら言われて我に返る。
「…あ。…すみません。ありがとうございました」
「どういたしまして」
 医者の顔で微笑む剣持の顔を直視出来ない。
「さて、昼食の支度をしますか。近江君は着替えて身体を拭いて、ゆっくりしていた方がいいですね。まだ寒いですから、風邪をひかないように早く着替えないと。顔色悪くなってきてますから」
「大丈夫ですよ」
 疼痛を訴える腕を押さえて立ち上がると、既に包帯やガーゼを片付けてこちらに背を向けた剣持は肩越しにぴしゃりと言い放ってきた。
「医者の言うことは聞きなさい。今日は入浴も禁止、勿論、当分稽古もです。それから、熱を持つと思いますから、食事が済んだら解熱剤を飲んでおいて下さいね。腕のいい外科医を紹介しますから、今日はお休みですが、明日には行って、一応診てもらうんですよ」
「……………はい」
 立て板に水とはこのことだ。
(この人、こんなに面倒見よかったっけ?)
「早く治さないといけませんからね。舞子さんにも心配かけるでしょう?」
「……………はい?」
 鳩が豆鉄砲を喰らったような状況。
(今、何て言った?)
「だから、早く治さないと舞子さんに心配かけるし、怪我の理由を知ったら笑われますよ。来週には彼女に会うんでしょうから」
「……………え?」
「来週の今日ですよ。何の日だか忘れたんですか」
 今度の微笑みは年長者特有の、彼の師匠としてのそれだった。弟子に諭すような。
(やっぱり、バレてた……)
 近江は、右手で少し長くなってきた前髪をかき上げた。
 額が熱い。
(ってゆーか、何でこの人がそんなこと知ってて気にしてるんだ?)
 そういえば、そっちこそ翔子に会うんじゃないのかというツッコミは、今の近江にはとても出来なかった。
        ********
 血を流せばチカラも流れる。
 いつかそんなことを教えられた。
 忘れていたわけではないが、近江は久々にその事実を実感していた。
(だからって、ここまで体力落ちるもんか?)
 稽古は出来ないまでも、と医者に行くついでに町まで延々歩いてみたのだが(バイクを使うのも、腕に力が入らなくては感覚が鈍って危険だからと剣持に止められた)、予想以上に疲れてしまって近江は嘆息した。
(情けねぇ……)
 どこか喫茶店でも入るか、取り敢えず飲み物でも買うかと辺りを見回すと、一軒のコンビニが目についた。
(うっ……)
 思わず胸中で呻く。
 そのコンビニの店頭のガラスには、某製菓会社の陰謀とまことしやかに噂される日本特有の行事を推奨する広告のポスターが貼られていた。
『心を込めたお返しに』
 町に出る度、テレビを見る度にそれに類似した煽り文句が目に飛び込んできて、ことあるごとに近江の頭の中で渦巻いて離れない。
(やっぱり、貰ったんだからお返しはしないとなぁ……)
 即ち、その行事はいわゆるホワイトデーというやつだ。女性から告白するバレンタインデーに対し、その返礼をする日、もしくは男性から意中の相手にプレゼントをする日と広義に解釈する向きもある。
(舞子から貰えるとは思わなかったけどな。あいつ、こういうことには拘わらなさそうだから)
 それも、手作りのチョコレートケーキなどを。
 近江としては、好意を持っている舞子からのプレゼントだったので心が躍ったが、いざそれにお返しをするとなると彼女の場合は何を喜ぶのか見当もつかない。
 普通に、一般の女の子が欲しがるものではなさそうだし、かといって何が相応しいのかが判らないのだ。
 世間ではホワイトデーのお返しとしては『キャンディがお付き合いOK、クッキーがお友達、マシュマロがお断り』という意味らしいが、そんなものでは舞子は喜ぶまい。
(だからって、何がいいんだ)
 結局、そこで考えが止まってしまって堂々巡り。
 近江はここ数日その繰り返しだった。お陰で集中力は失せるわ、注意力は散漫になるわ、そのせいでつまらぬ怪我までしてしまう有り様だった。
 舞子の前ではカッコつけて「来月、期待してろ」などと言い放ってしまったが、実際のところは何も思い付いていないのだった。
(ほんと、情けねぇな)
 苦笑して、左腕に巻かれた包帯を服の上から撫でる。
 立ち止まっていつまでもそうしているわけにもいかないので、近江は何となく歩を踏み出した。そのコンビニではなく手近なギフトショップに入って、並んでいる品々を眺めて品定めしてみようと。
 それほど気取った店ではなかった。
 さんざめく女子高生や大学生くらいがメインの客層の流れの中を居心地悪そうに進んでいきつつ、胸中で独りごちる。
(あんまり、金無いしな……)
 片っ端から見ていくことにする。
 まず小物から。
 シルバーや金などのアクセサリー。
(………高い。それにちょっとイメージじゃないな)
 何故か小さなクマのぬいぐるみがセットになったブランドのハンカチ。
(ハンカチはともかく、ぬいぐるみってガラじゃないだろう)
 香水。
(ますます違う)
 化粧品。
(………しないよな)
 服や靴、バッグ。
(そもそもサイズ知らねぇし、デザインや色の好みも分かんねぇ)
 小さな置き時計、もしくは腕時計。
(これも好みが関係するな。それに高い)
 女性向きのプレゼント候補は枚挙に暇が無いほど充実しているので、見て回るだけでも大変で、その充実ぶりがかえって近江を悩ませた。
 目に付くものを舞子に照らし合わせて考えては否定し、また財布の中身と相談しては別のものを見る。
 そうしているうちに雑多な人込みにいるせいか、また怪我のせいもあってか、疲労が増していくのが自覚出来て溜め息を誘った。
 そしてもう一つ、長い付き合いにも関わらず舞子のことを殆ど知らない自分にも気付いて近江は呆然としていた。
 割合に長く舞子とは−−あの姉妹とは付き合ってきた。
 それなのに、改めて考えてみると舞子のプライベートというか『扇舞子』という一人の少女について自分が持ち合わせている情報の何と少ないことか。
(迦楼羅神教三十八代目教主の一人で双子の妹。氣の力を操り、大らかで明るくて活発な性格。スポーツ万能で合気道の達人。大柄で大飯食らい……)
 最後の二項目は本人に殴られそうだったが。
(やばい。また熱が出てきた……)
 近江は、ふと身体が火照っているのを感じた。
 左腕が熱い。
 傷は浅かったので縫合するまでもなかったのだが、剣持が忠告した通り昨夜から熱を持っていた。薬が効いて治癒している証拠だが、悩み事も抱えているせいで頭痛を伴った発熱にまで至ってしまっていたようだ。
(知恵熱かも)
 今度こそ休憩する場所を探すつもりで、結局手ぶらのまま近江はその店を出た。
       ********
「お帰りなさい」
 ようやくプレゼントするものが閃いて、それを購入して診療所に戻る頃には、とっくに日が暮れていた。
 出迎えた剣持はちょうど『終了』のプレートを掛けに出てきたとろで、続いて手伝いのお春さんも帰宅するために顔を見せる。
「おや、お帰り。聞いたよ、怪我したんだって?」
「ええ、ちょっと。剣持さん、ただいま」
「すぐ夕飯に出来ますよ。今日は暇でしたのでお春さんが支度してくれましたから」
「そうですか。ありがとうございます」
 一礼して、引っ込んでいく剣持に続こうとした近江だったが、話好きな老女に腕を引っ張られる。
「何か?」
 振り向くと、お春さんは訳知り顔で言うのだった。
「彼女にプレゼントかい?」
「えっ……」
 不意打ちで図星をさされ、思わず頬を赤らめる近江。
「もうすぐ、ほれ、何とかいう日だろ? そりゃ、そんとき彼女にあげるんじゃないのかい」
 と指さすのは、近江が小脇に挟んだ包み。シンプルな袋だったが、しっかりと赤い花の形のリボンが飾られており、贈答用というのは一目瞭然だった。
 それにしても、女性というのは幾つになってもその手のことには鋭い。いや、年の功というべきか。
「こっ… これは、その……」
「まぁまぁ。照れなくてもいいじゃないか。あんただって、こんなところに勤めちゃいるが若いんだし。それに結構いい男だしね。モテるんだろ?」
「そっ、そんなことは……」
 お春さんがどこまで知っていて言っているのかは不明だが、近江は充分に慌てさせられた。
「こんなところってのはないでしょう」
 二人のやり取りを聞いていた剣持が微苦笑して口を挟んできたのを渡りに船と素早く話題を変える。
「そうですよ、俺はよくしてもらって満足してるんですから。すみません、剣持さん。今日は俺が食事当番なのに、お春さんにやってもらっちゃって」
「いえいえ」
 玄関に上がり、近江は再度礼を述べた。
「ありがとう、お春さん。俺、ちょっと熱っぽいんで助かりましたよ」
「大事にしなさいよ。いくら若いったって無理をしちゃ治るもんも治らんからね」
 それじゃ、と意外とすんなり彼女が去り、近江はほっと胸を撫で下ろした。
「熱っぽいって、大丈夫ですか?」
 剣持は一緒に奥へ歩きながら問うてくる。
「はい。大したことはありませんから」
 剣持にも買い物の内容を突っ込まれる前にと、素早く自分の部屋へ退散する近江だった。
 ふと、大事に抱えてきた包みを眺める。
(カードでも付けた方がいいのかな。でも、何書いていいのか……)
 改まってメッセージを書くのも照れるし、どうせ会って渡すつもりなのだからいい
かと思い止まる。面と向かって何か気の利いたことが言えるとも限らなかったが。
(ま、いいか。それより……)
 果たして、気に入ってもらえるか。
 プレゼントが決まったら決まったで、次の心配事が近江を悩ませるのだった。
       *******
 その日、続いていた微熱も治まり近江はいつもより早く目が覚めた。
 二日前から、傷を庇いながらだが入浴も出来るようになったし、今日は待ち合わせの場所までバイクで行けそうだと考えつつ朝食の席に就くべく台所に向かう。
「………はい。……ええ……いえ、大丈夫ですよ、今日はもともと休診日ですからね」
 電話中の剣持の声。
 近江は何気なく耳をすましながら、鍋を開け味噌汁を注いだ。
「……いいえ、こちらこそ。…はい? ああ、はい。はは…… いえ、有り難く使わせてもらってますよ」
(ん? バレンタインに貰った物のことかな)
「嬉しかったです…… ええ、お気遣いいただいて。……はい……はい…… 大切にしますからね」
 はあ、と近江は溜め息をついた。
(……何か、すっげーラブラブじゃねぇ?)
 電話の相手は翔子だと決め付け(つーか、バレバレだし他に誰がいよう)、先に食べ始めることにする。
 ワカメと豆腐のオーソドックスな味噌汁をすすっていると、電話を終えた剣持がやって来る。
「おや。おはようございます、近江君」
「おはようございます。お先に」
「何だ、起きて来たんなら舞子さんに替わってもらえば良かったですね」
 ほお張ったご飯を吹き出しそうになって、慌てて口を押さえると、飄々とした剣持の表情にぶつかった。
 うろたえているのを指摘されるのが悔しくて、おかずの目玉焼きに箸を刺しながら憮然と応じる。
「あいつとは待ち合わせ決めてあるから大丈夫ですよ。それに、これから会うんですし」
 剣持は「そうですか」とだけ答え、後は何とはなしに当たり障りの無い話題で過ぎていった。
 怪我をしているのを未だに心配してか、片付けは剣持がやるというので任せることにして、部屋に戻る。
 着替えは済ませていたから、後は肝心のプレゼントを忘れずに持って、久し振りにヘルメットを携えて出掛けるだけだ。
(もうちょっと女らしいものの方がよかったかな。いや、でもこういうのがあいつらしい、よな……)
 今更悩んだり迷ったりしても仕方が無い。
 外出を告げて玄関を閉め、バイクを出す。
 ちらりと時計を見れば、今から行けば少し早く待ち合わせの場所に着きそうだった。
 舞子には怪我をしたことは言っていない。
 余計な心配をさせないためというより、見栄を張りたかったのかしれない。
 ともかく近江は、緊張とときめきってやつを胸にバイクをスタートさせた。
       ********
 風はまだ北風。
 暖かな日差しを受けていても、容赦無くぶつかってくる。
「近江くーん」
 停めたバイクに寄り掛かって待っていると、弾んだ声が耳に飛び込んでくる。
 顔を上げれば、舞子がトレードマークのポニーテールを揺らして走ってきたところだった。春とはいえまだ肌寒く、今日の舞子は暖かそうな赤いブルゾンにジーパン姿だ。
「ごめんごめーん! 待たせちゃったね」
「あ…… いや、いいさ」
 微笑んだつもりだったが、どこかぎこちなくなっていた気がする。
 時間はそろそろ昼過ぎ。
 駅前から少し移動して食事でも行けば丁度よいだろう。
 そして落ち着いたらプレゼントを渡そう。
「舞子」
 深呼吸して、思い切って名を呼ぶ。まだ、慣れない。
「何?」
 あどけない笑顔で振り向く舞子。
「喉乾いただろ。どこか入るか」
「ううん、平気。それよりさ、バイク乗りたいなー」
 言うが早いか、尻尾のように跳ねるポニーテールを揺らして、さっさと股がってしまう。
「ほんとにバイクが好きなんだな」
「うん。あとさ、近江くんの後ろに乗せてもらうのも好き」
「えっ……」
 うっかり、口元が緩みそうになる。
「ほんとは私もバイクで一緒に走りたいけど。……どしたの?」
「い、いや…… じゃあさ、ちょうどいい」
 近江は、懐に押し込んでいた包みを注意深く取り出して差し出した。
「これ」
 風が一層冷たく感じられて、自分の頬が火照っているのが分かった。
「え、何? もしかして、この間のお返し?」
「ああ、まぁな」
「やったぁ! 嬉しい!」
 ぱあっと舞子の顔が明るくなる。
(おっ……)
 おずおずと差し出した包みを、バイクから降りて半ば奪い取るように受け取って、舞子は躍り上がらんばかりだ。
「ねぇねぇ、開けていい?」
「ああ。早速使えるよ」
 舞子が包みを開けるのを眺めている間、近江は自分が彼女からのプレゼントを開けたときのことを思い出していた。
(こいつも、こんなふうにドキドキしてたのかな……)
 やがて、包みから出てきたのは真っ赤なライダースグローブだった。
「うわぁ、凄い!」
「別に、そんなに大したもんじゃないさ」
 舞子は目を輝かせ、それを眺める。交互にこちらの顔を見る。そうして大袈裟なくらい喜ぶのが、やはり近江には嬉しかった。
「ありがとう、近江くん」
「気に入ってもらえて良かったよ」
 正直な感想が漏れる。
「色をどうしようかと思ったんだけどさ。ちょうどそのブルゾンに合うな」
「うん。気に入った。すごく嬉しいよ。実はね、お返しに何をくれるんだろうって、すごく楽しみだったんだ。勿論、それ目当てであげたわけじゃないけど…… 近江くん、『期待してろよ』って言ったじゃない? 今日はホワイトデーだし」
「そうだな…… ずっと忘れてたよ、こういうの」
 素直に気持ちを表す舞子を目の前にして、案の定、気の利いた台詞は出てこない。だが、何気ない会話が出来ればそれでいい。
 こんな、どこにでもある日常とは掛け離れた世界にお互い身を置いているから。
(そっか。こいつが何が好きで、どんなことに興味を持ってるか、素直に考えればよかったんだな)
 肩書よりも、経歴よりも、舞子の喜ぶ顔が見られればと考えたら自然とライダースグローブが閃めいたのだ。 舞子の好きなもの=バイクに関する物=気軽に使える物=値段も手頃なグローブ、という単純な思い付きだったのだが。
 どうやら正解だったようだ。
「さて、じゃあ少し走るか」
「うん」
 舞子は早速赤いグローブをはめて、近江が投げたヘルメットを受け止めた。
 それは、行動を共にするようになってしばらくしてから買った、舞子の分のヘルメットだ。最初は当然ながら近江の分しか無かったそれが、いつの間にか自分の分まで用意されていることに、舞子は気付いているのかどうか。
 ともかく、舞子は近江の後ろに乗ると貰ったばかりのグローブをはめた両手をためらいなくこちらの腰に回してくる。
 そのあたり、舞子がもう少し照れたりしてくれればと贅沢な考えがよぎったりする。まあ、それが無い天衣無縫さが舞子らしいのだが。
(俺には少し、羨ましい。どこまでも素直で、どんなときも明るさを失わない、お前が……)
 近江も、意識しないといえば嘘になるが、努めて何事も無いように胸の高鳴りを抑えて。
「しっかりつかまってろよ」
 気合を入れるようにアクセルを吹かすと、元気な声が返ってくる。
「安全運転でよろしくね。そうそう、途中、どっかでお昼ご飯買って食べようよ」
「そうだな。それもいいか」
 軽やかなエンジン音が響いた。
 早春の空では欠けた白い真昼の月が、二人の乗ったバイクを追い掛けるように走っていた。