1・
夕飯後、扇家の千景の部屋の襖が開き、外出していた舞子が顔を出した。
「ただいま、おばあちゃん、翔ちゃん。剣持さん、いらっしゃい。」
中にいた三人はそれぞれに「お帰り」「お邪魔しています」と声をかけた。そこで翔子はあることに気が付いた。
「あれ?舞ちゃん、近江君も一緒?」
「ううん、駅まで送ってもらったけど帰ったよ。」
と舞子は答えた。
さらに言葉を続けようとした翔子だったが、自分のスカートが軽く引っ張られるのを感じ、言葉を飲み込んだ。
舞子は何も気付かなかった風で、
「私疲れたから先休むね。じゃ、剣持さんごゆっくり。」
というと立ち去った。
「何ですか?剣持さん」
怪訝な顔の翔子は剣持に問いかけた。翔子のスカートを引っ張り質問を封じたのは剣持だった。剣持は少し困ったように微笑み、それから千景を見た。その剣持と翔子を見て千景はクスクスと笑い「説明してやってくれ」と言わんばかりに顎を上げて見せた。そして、わけが分からず首をかしげる翔子に剣持が言った。
「どうして近江君が来たと思ったんですか?」
「だって、近江君の気を感じたんですもの。残り香みたいなのじゃなくて、もっと近くに近江君がいる感じの・・。」
答えながらもまだ答えの見つからない翔子だった。その間に大人二人の話は進んだ。
「ひ孫の顔を見られるのもじきかのう。」
「うーん。こういうことは男がちゃんとしなくてはいけないですから、私が近江君に言うのが一番良いんでしょうけど、気が乗らないなぁ。こういう方面はどうも苦手で・・。」
「うちはかまわないぞ。孫にいろいろを継がすってことは、けっこう大変だからな。子供も孫も一日でも早いほうが良いんだよ。」
「そうは言っても、学生のうちはまずいでしょう?」
「そうか?」
「そうですよ。」
ひ孫?こういう方面?学生のうちはまずい?二人の会話を聞いて翔子は言った。
「まさか、それって・・」
「そうじゃよ。ようやく分かったか。お前が感じた近江の気は舞子の体に入ってる近江の精から出てるって事さ。」
「えー!!本当に?!」
「舞子さんは気付いてないですけどね。」
「きゃぁ、どうしよう。」
「しーっ。翔子さん。別に翔子さんがどうこうする必要はないんです。秘め事ですよ、秘め事。口に出してはいけません。分かってもわからないフリをするのが礼儀です。」
剣持の言葉に翔子は赤い顔を両手で押さえるしかできなかった。
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2・
しばらく思案顔だった剣持がため息とともに言った。
「イヤだなぁ。うちが現場だとすると今日は妙に生々しい気が残ってそうだから帰りたくないな。今夜はこっちに泊めてもらおうかな。」
最後の一言は千景に向けて発せられた。千景は翔子に
「台所に行って朝子に司が泊まるって伝えておくれ。で、ついでにお銚子の追加もな。」
と言った。
剣持が泊まるとなれば控える必要もないので3人は更に飲み、翔子の顔が赤くなったのと千景が眠くなったのを機に酒宴は解散した。
翔子は自室に戻り、剣持は慣れた客間、扇家では剣持の部屋と見なされている、に残りのお銚子を持って入った。
剣持が1人手酌で飲みなおし、さすがに寝るか、と朝子が用意してくれた寝巻きに着替えたとき襖がするすると開き、こちらもパジャマ姿の翔子が入ってきた。
「舞ちゃんが部屋に入ったまま顔をださないんですよ」
翔子は拗ねたように訴えた。呂律が少し怪しい。
「疲れたって言っていたからもう寝ちゃったんじゃないですか?なんといってももう遅いですし。」
「疲れるような事って、近江君と何してたんだか」
酔った勢いが不満に向かっていた。
「舞子さんに先を越されたのが悔しいんですね」
剣持は笑いながら言った。それがまた酔った翔子のカンに障り、翔子は剣持に絡んで行く。
「剣持さんは近江君の師匠でしょ?弟子の監督不行き届きですよ。」
「ハイハイ。私の責任ですよ。でもいくら師弟の間柄とはいえ色恋沙汰には口を挟まない事にしているんです。」
剣持は酔っ払いを刺激しないように答えた。
「舞ちゃんが私に顔も見せてくれないなんてー・・。」
今度は翔子が泣きまねをしてみせる。
「そりゃあ、恥ずかしくて顔を出せないだけなんですよ。明日になれば元通りですよ、きっと。」
「何で恥ずかしいのよ。」
今度は怒っている。
「そりゃあ・・。」
剣持は一瞬考え、酔っ払いの翔子の手を取って敷いてあった布団に座らせ、自分は向かい合いに正座した。
「百聞は一見に如かず。百見は一考に如かず。百考は一行に如かず、です。」
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3・
「なんですか?それ。」
「まぁ、やってみろ、ってことです。」
剣持は翔子の返事を待たず、翔子の手首を片手でつかんだまま長い指で何かを探っては指の腹や爪の角を使って押し始めた。
「?」
翔子が怪訝な顔をする。
「ツボ刺激です。ここは肩こりで、こっちは首の筋肉のリラクセーションに効きます。」
そういいながら剣持の指は動き続ける。
「あ、何だか肩の辺りが暖かくなってきたみたい。あ、そこ。うー、気持ち良い。」
酔っ払いの翔子はご機嫌である。
「暖かくなってきたのはそこだけですか?」
剣持が悪戯っぽい目で翔子を見る。翔子の目が剣持のそれとあったとき剣持の指がトンッと翔子の手を叩いた。翔子の体に初めての感覚が訪れた。
「あんっ・・。」
何の前触れもなくやってきた感覚に翔子の口から声が漏れた。口を押さえるより先に反射的に両足がぎゅっと閉じられた。自分の体が勝手に反応したのに驚いた翔子はその後閉じられた脚の間が熱を帯びているのを感じた。何だか剣持の顔を見ていられない。
剣持のしなやかな指はさらに動きを変える。触っているのはつかんだ手首より先だけなのだ。それなのに翔子の体に次々と新しい感覚が湧いて出てくる。翔子は閉じた脚にさらに力を入れた。空いている手で胸を押さえる。動かしたつもりのない脚が勝手にもぞもぞと動く。
「やっ。ダメ、剣持さん。」
翔子が抗議の声を上げる。翔子の顔は羞恥で真っ赤になっている。しかし剣持は止めようとしない。その表情は自分の治療院で患者を見ているときのそれと同じだった。
「いや、・・あんっ。んん。」
翔子は自分の手を引こうとするのだが、軽く持たれただけの手がどうしても引けない。翔子の口から押さえられない声が漏れる。
「やめて、剣持さんっ・・。」
やがてその体が剣持のほうに崩れ落ちた。
涙目になった翔子は肩で息をしながらも、体を支えてくれている剣持の腕を噛んだ。
「こら、何するんですか。」
「剣持さんの意地悪。」
「何が意地悪なんですか。」
「だってこんなことするんだもの。」
「してみたくてここに来たんじゃないんですか?」
「・・・。」
図星を指された翔子は俯いた。
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- 4・
「私を騙せると思ったんですか?ろくに酔ってもいないくせに。」
「・・。」
「自分から仕掛けておいてこの程度でうろたえるなんて覚悟が足りませんよ。」
「・・・。」
翔子に返す言葉はない。剣持は止めを刺した。
「わたしのことを好きだと言うのならまだしも、好奇心と対抗心で経験してみたいっていうのなら他の誰かを当たりなさい。もっとも誰でも良いけれど、私だったらイヤと言えば逃がしてくれるだろうと思ったから来たんでしょうけどね。私もなめられたもんです。」
「違いますっ。」
翔子は言ったが剣持は黙っている。
「・・怒ってますか?」
翔子は恐る恐るきいた。剣持にこういう風に叱られるのは初めてなのだ。
「いい気分でないのは確かですね。ここまで甘く見られているかと思うと情けないですよ。」
「ごめんなさいっ。」
- 剣持の言葉に翔子はすぐに謝った。そして
「なめてなんていません。剣持さんに甘えてたのは確かですけど。それから、誰でも良い、なんてこれっぽっちも思っていませんから。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
- 翔子は必死に言った。目から涙が落ちた。先ほどの快楽による生理的な涙ではなく、心が痛くなるような涙だった。
- 「素直な子は嫌いじゃないですよ。」
- 剣持の声は今度は優しかった。そして、
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Illust:森咲まゆみ
※このイラストは、梅花さん・森咲さんのコラボ投稿によるものです。
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「ひとつ言っておきますけど、情を交わす相手は十分選んだほうが良いですよ。あなたは気を必要以上に感じる人だから、雑な気が自分の中に取り込まれると体調を崩します。好奇心だけで相手を選ぶと、後でそりゃあ気持ち悪い思いをすることになりますよ。」
と言った。
翔子は黙って頷いた。剣持としか気も体も交えるつもりはない、と言いたかったが今は何をいても言い訳にしかならない。
不意に
「今おばあさんの顔、見られますか?」
剣持は話をかえ、言った。
「とんでもないです。恥ずかしくって。」
「多分舞子さんも同じだったと思いますよ。」
剣持の言葉に翔子は頷いた。
「わかったら、自分のお部屋に戻ってお休みなさい。肩こりは治ったでしょう?よく眠れますよ、きっと。」
こう言われ、翔子はようやく顔を上げた。
「体がふらふらして立てません」
「こんなんで私を相手にしようなんて、三年早いですよ」
「じゃ、三年経ったらこの続きしてくれますか?」
翔子は言った。剣持は「さて、どうしましょうかね」というと翔子の膝下に腕を差し入れ、横抱きに抱きかかえ、翔子の部屋に連れて行くべく立ち上がった。
両手で剣持にぎゅっとしがみついた翔子の耳に「早く大人におなりなさい」とささやく声が聞こえた。
<終>
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