座敷で翔子は鴛鴦神社の宮司と対面していた。相手はうろたえていた。 「いや、扇さんが代替わりされたのをまったく知りませんで失礼しました。まさかこんな若いお嬢さんが教主を勤められているとは・・。」 「代替わりしてもう5年になりますのよ。まだ学生ですので大学では敢えて公表していませんでしたけど、この辺の人はみんな知っていますわ。」 おしどり先輩は蒼い顔で座っているのがやっとで、口も利けない様子だったが、話は聞こえているようで驚いた顔をしている。いや、怯えた顔と言うべきか。 「ところで、今夜こちらにお伺いしたのは他でもない、剣持さんがこちらにいらっしゃると聞いたからでして。何か御用でいらしているのでしょうが、失礼を承知でお願いします。この息子のことでお願いがあって参りましたとお伝え願えませんでしょうか。」 相手はあくまで低姿勢だ。剣持に弱みでも握られているのだろうか。 「今日は剣持さんは大事なお客様としてきていただいているんです。できるだけ手短にお願いいたしますわね。」 「もちろんですとも。」 「では、今お呼びしますわ。」 そういって翔子は剣持に頭の中で呼びかけた。呼ぶといって動かない翔子をいぶかしげに見ていた宮司だが、すっと開いた襖の向こうに剣持の姿を認めて緊張した表情になった。一方で着物姿の剣持は着慣れたものにしかできない絶妙さで襟元を寛がせ、まるで自宅にいるかのようなリラックスした雰囲気を醸し出している。 「おしどりさん、ご無沙汰しています。よく私がここにいるとわかりましたね。いったいどうされました。」 剣持は翔子の横に座りつつにこやかに宮司に挨拶をした。宮司は引きつった顔で答えた。 「この度はうちの馬鹿息子が何かしでかしたようで・・」 宮司は、昼間大学で息子が倒れ家に運び込まれたこと。良く見ると額に晴明桔梗が浮かんでいたので剣持が絡んでいるらしいことがわかり、術を解こうとしたが完全には解けず、剣持を探したこと。剣持の家に電話をしたら弟子と言う人物が、もしかしたら扇家にいるかもしれないと教えてくれたこと。息子がしゃべれないので事情がまったくわからないことなどを説明した。 剣持は単刀直入に答えた。 「そちらの息子さんが昨日こちらの翔子さんに乱暴をしようとして怪我をさせたのですよ。」 宮司は思いもよらない話に目を見張った。 「幸いにも大事には至りませんでしたが、本来なら刑事事件にもなりかねないことです。しかし、司法介入などされれば翔子さんに傷が付くことになりますから、事を公にはしないことにしましたが、息子さんにはしっかり反省をしていただこうかと思いましてね。別に強い術ではありませんよ。もとはその息子さんがお宅の鴛鴦に乗せて翔子さんに纏わり付かせていた念が変化したものです。若干の上乗せはしましたがね。」 その若干の上乗せが解けないでいるから、わざわざ訪ねて来ているのだが、そうは言えずに宮司は蒼い顔で硬くなっている。 「まさか、そんな・・。」 それが本当なら一大事だ。しかし、わが子が性犯罪者とは信じられない親心が見え隠れしている。 「息子さんの証言がいりますか?」 剣持が術を少し緩めた。息子のほうはやっと口が利けるようになって、「あ、」と声をだした。宮司が事の真偽を問うように息子の顔を見た。 「怪我なんて、させた覚えはないよ。そりゃ、少し触ったのは認めるけど・・。」 何で後輩と食事に行ってちょっと悪戯しただけなのにこんな大事になっているのかわからない、という顔だ。 「傷は確かにありましたよ。」 剣持が言った。 「御教主様の怪我とはいったいどの程度のものだったのですか?病院には・・?」 判断付きかねる宮司が問うた。それには翔子が答えた。 「いえ他人様にお見せできるようなものではありませんでしたのよ。それで剣持さんに治していただきました。ですから、もう傷はありません。」 宮司は傷がないと聞いて一安心したらしい。少なくとも証拠がないのだから警察沙汰だけは免れたわけだ。しかし、宮司の頭に漠然とした不安が広がる。呼ぶと言って声も出さなかった教主。それでも呼ばれたかのようなタイミングで入ってきた剣持。他人様に見せられない傷、なのに剣持はそれを見ているという。それに扇家の翔子と合わせたかのように着物姿で寛いでいる剣持。なぜ、身内でなく剣持が報復措置に出てきたのか。 「証拠がないんじゃないか。だいたい、いい歳して男と飲みに行ってただそれだけって、考えるほうがおかしいだろ?翔子ちゃん、この頃は随分遊んでたじゃないか。いまさら傷だのなんだのって言える立場じゃないだろう。」 突然おしどり息子が言い放った。警察沙汰にはならないと気が大きくなったらしい。 「こら、黙りなさい。」 宮司が慌てて声を上げたのと、剣持の術が強まって息子の口を塞いだのと同時だった。 剣持の視線が凶悪な光を放って注がれている。口を滑らした本人は畳の上で死にそうな顔をしていた。 「お前は、いったいなんてことを言ってくれたんだ。兄さんの二の舞になりたいのか!」 宮司が馬鹿息子を叱責した。 翔子は気になっていたことを聞いた。 「剣持さんとおしどりさんは以前からお知り合いなんですか?」 他愛もない質問だったが、なぜか宮司の顔が引きつった。剣持が答えた。翔子に答えるその顔はいつもの剣持だ。 「何年か前におしどりさんのご長男が私に術比べを挑んでこられたことがありましてね、そのとき以来の知り合いです。そういえばご長男さんはお元気ですか?」 「・・おかげさまで。あの後半年ほど入院しましたが、今では後は継がない、普通のサラリーマンになると言って、昨年地元の金融機関に就職しました。」 「そうでしたか、なかなか力のある方だったのに、跡を継がないとは残念でしたね。」 剣持はまるで他人事のように言った。自分の力に慢心した若者が闇の死操人にちょっかいを出して返り討ちにあい半死半生になったということか。翔子は宮司の低姿勢の訳を知った。その上次男まで剣持の逆鱗に触れたとなれば、親としてはひたすら剣持の機嫌を取るしかないだろう。翔子は宮司が少しかわいそうになった。 「剣持さん、このお詫びは幾重にもさせていただきます。ですからなにとぞお許しを。」 宮司のほうが土下座をして見せた。事の真偽を問う気はなくなったらしい。この場では剣持が黒と言えば黒になる、そう流れができた。 「私にではなく、翔子さんに、ですよ。」 剣持が追い討ちをかけるように言った。 「ええ、もちろんです。御教主様、本当にうちの愚息が申し訳ないことをしました。きちんとしたお詫びは必ずさせていただきます。ですから、どうか依頼を取り下げて剣持さんに術を解いていただいてください。このままでは息子が死んでしまう。」 宮司は必死だ。そして翔子が剣持に依頼して術をかけていると思っている。 「あら、私が依頼をした訳ではないのです。ですから剣持さんが許す気になって下さらないとどうにもなりませんわ。」 宮司は訳が分からないという顔で二人を見る。 「翔子さんはもういいのですか?」 剣持が翔子に聞く。 「確かに不愉快ではありますけど、死なせてしまうのはちょっと・・。」 翔子の答えに宮司親子の肩の力が抜ける。しかし翔子は続けた。 「ただ、他の男性にあんなことをされてしまっては剣持さんに申し訳なくて・・。ですから剣持さんが私を許してくださるのなら、私もおしどりさんの息子さんを許して差し上げますわ。」 そういいながらちらりと剣持に流し目をくれる。 「翔子さんに対して怒っているわけではありませんよ。」 剣持も甘やかすような声で翔子に答える。 宮司の中で先ほどからの漠然とした不安が形になった。この二人は・・。せっかく抜けた肩の力が再び入る。闇の死操人の女に手を出して無事でいられるものかどうか、考えれば恐ろしくなろうと言うものだ。 「剣持さんと扇の御教主様は、そういうご関係でしたか。知らぬこととはいえ、本当に失礼をいたしました。先ほど言いましたようにきちんとお詫びはさせていただきます。ですから何卒、何卒お許しを。」 宮司は再度頭を下げた。必死を絵に描くとこうなるのかなぁ、と翔子は思った。返答は剣持がした。 「そうですね、まあ、人脈は大事だから他の方ともちゃんとそれなりのお付き合いをしておくように、と翔子さんに言ったのは私ですからね。それに翔子さんの魅力にお宅の息子さんが負けたのも分からないでもない。このようなことが二度とないように、というのは当然ですが、今後何かの折に扇家が鴛鴦神社に助力を頼むようなことがあれば躊躇なく応じる、とお約束いただければすぐにでも術を解きましょう。」 恩を着せて翔子と舞子のために人脈を一本確保しようと言うわけだ。剣持のしたたかさには頭が下がる。扇家の人脈はまだ千景のものが主で翔子と舞子の作り上げたものはそう多くはない。いずれ引き継いでも代が変われば弱くなるのは目に見えている。だから、あちこちに影響力のある鴛鴦神社を味方にできるのはありがたかった。 宮司の返事は聞くまでもなかった。剣持は術を解いてやった。口が利けるようになったはずの次男坊だったが、蛇に睨まれた蛙のように微動だにしなかった。ただ、昨日自分の前で、念に付かれて困り果てていたきれいな翔子ちゃんが、実はカルラ神教の教主で闇の死操人と深い仲だ言うことだけはわかったようだ。 とりあえず、許してはもらえると分かった宮司が恐る恐る言った。 「ありがとうございました。ところで剣持さん、うちの鴛鴦を返していただけないでしょうか?二度とこの息子には使わせませんから。それはもう、お約束します。」 「こちらで必要なときには貸してもらいますよ。」 剣持は念を押してから、鴛鴦も返してやった。 こうして宮司親子は平身低頭して帰って行った。 |